【シリーズ第5回】思春期とは

【シリーズ臨床心理士のつぶやき】

始まりには個人差が大きい

 思春期はちょうど子どもから大人に変わる「過渡期」であり、第二次性徴という体の変化が現れ始めるのはみなさんご存じの通りですね。それに伴って心も変化していきますが、この体と心の変化は「いつ」くるのか分かりません。また、体と心の発達が同じ速度で進むとも限らず、時にバランスが崩れることもあり、子どもは自分自身に対する違和感を抱きやすくなります。
 さらに、第二次性徴が現れる時期や程度には個人差があり、思春期の子どもたちは、この「個人差」というものにとても敏感になります。「自分は周りの子に比べて遅いんじゃないか」、あるいは、「自分だけなぜこんなに早いんだ」と、内心思っていることがあります。思春期の子どもは自分自身への違和感のみならず、容赦なく周囲との差を突き付けられることになります。

思春期は不安が高まりやすい

 我々大人はつい、過去に思春期を通ってきた者として「そんなことぐらいで気にしすぎ」と、子どもに対して思いがちですが、子どもにとっては初めてのことですから不安が増大します。先に挙げた個人差以外にも、思春期は「他者視点」というものが育ち始め、自分自身を少しずつ客観的に見ることができるようになっていきます。「なぜ自分は〇〇なんだろう」という具合に周りの同級生との差異や自分自身の特徴を気にしだすと、そのことばかり頭に浮かんできて何も手につかないことだってあります。まるで、1滴の墨汁がバケツの水を真っ黒にしてしまうかのように「気になること」の影響は計り知れないのです。
 このように、思春期というものをいくら学校で習った知識として知ってはいても、それを実際に体験するのとではリアリティが全く異なるのです。ちなみに、大人になると自分が思春期のときにどんな思いで過ごしていたのかを、正確に覚えている人は少ないようです。私も断片的にしか覚えていません。ですから、親が子に対して「そんなことぐらいで」と思ってしまうのは無理からぬことなのです。

思春期は打ち込める(のめり込める)時期

 しかし思春期というのは、他者との「個人差」を埋めようと頑張れる時期でもあります。それは勉強だったり部活だったり習い事だったり趣味だったり、何でも構いません。自分という存在を確かなものにするため(と本人たちは意識していませんが)、大人から見ると無駄と思われるようなことにも打ち込みます。というのも、思春期は衝動性が高まりそれを何らかの形で放出(昇華と呼ぶ場合もあります)したくなるからです。
 自分の好きな物事にのめり込む(ハマる)と、楽しさ嬉しさだけでなく、思い通りにいかないことへの怒りや悔しさも味わいます。また、自分と趣味が合う人と同じ話題を共有できると、これらの感情をより一層強く味わうことができ、自分という存在がさらに確立されていきます。そして受験や卒業といった経験を経て、やがて「個人差」が埋めようのない物であると気づき、埋められなくとも自分は自分でいいという感覚を持つことで、子どもは自立した大人に近づいていきます。

大人には弾力性が求められる

 思春期の子どもは、同級生との関係だけでなく家庭内でも様々な「揺れ」を経験します。彼らが見せる姿は家の中と外では違っていて当たり前ですし、家の中でも甘えたり反発したりします。それはある意味、大人になろうと必死にもがいているかのようです。よく思春期は「嵐の中の船」に例えられますが、親としても色々な感情を掻き立てられる時期ではあると思います。子どもの「揺れ」に対して親も「揺らされる」のは、無理からぬことです。時には激しい感情をぶつけ合うことだって珍しくありません。
 では親はどういう姿勢でいるのが望ましいかというと、実は正解はありません。なぜなら親子の関係性のパターンは親子の数だけ存在するからです。とはいえ一応臨床心理学では、子どもの「揺れ」に対して親は「一旦受けとめる」姿勢でいることが望ましいとされています。一旦受け止めるというのは、親も揺らされつつも「元に戻る」という弾力性を伴った姿勢です。まるで曲がりはしつつも折れずに元通りに戻るしなやかさを持った板のように、「揺れと安定」を兼ね備えたものとも言えます。これをすぐに実践するのは難しいことではありますが、子どもの示す言動に対して無視するでもなく、すぐに手助けするでもなく、頭から否定するでもなく、一旦受け止めて、相手は自分と異なる考え方を持った一個人であるという思いを持って接することかもしれませんね。

※この記事は過去の投稿に若干手直しを加えたものです。

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