【関西大学日本史入試解説】史料問題を攻略!第3回

【シリーズ】藤井の過去問解説

はじめに

皆さんこんにちは。
創心館の藤井と申します。
今回で3回目のブログとなりました。どうぞよろしくお願いします。

引き続き【2022年度・関西大学(文系)全学日程2月1日】の日本史です。
今回は第3問を解説します!

問題に挑戦!

前回同様、まずは解いてみてくださいね。
解説を読む前にあらかじめ解いておくことで、知識の定着度合いが全然違います。
長い問題ですが、頑張って解いてみてください。
以下の画像が見えにくい場合は東進の過去問データベースなどで
『関西大学2022年度全学部日程2月1日の日本史の大問3を参照してください。

どうですか?解き終わりましたか?

それでは解説にまいりましょう。

【解説】関西大学名物「史料問題」を徹底攻略!

大問3は、関西大学名物ともいえる「史料問題」です。
教科書や資料集に記載されているものから、まったく初見のものなど、素材はさまざまですが、「いつの時代の、どんな内容が記されているのか」を、史料文中のキーワードをもとにしてざっくりと把握できればよいと思います。

内容自体はすぐにつかまえることができても、その意味をもとにして問題を解くという点では、なかなか難しいです。
実際に問題を確認しながら、その方法を伝授することにしましょう。


(A)「地租改正」の史料

この史料は、「地租改正」という用語が史料中にひんぱんに出てきますね。ということは、「明治時代の地租改正についての史料なんだな」というくらいの把握で十分ですね。

問1
「地券」の発行に伴って田畑永代売買の禁止令も解除されたが、この禁止令が出された時の将軍は誰か、という問題ですね。江戸時代以来の税の取り方を大きく変えたのが地租改正なのですから、当然、江戸時代に出された田畑に関する2つの法令の比較もしておく必要がありますね。

≪江戸時代の土地法令≫

  • 田畑勝手作りの禁止令(1643年・徳川家光)→1871年に廃止
  • 田畑永代売買の禁止令(1643年・徳川家光)→地券の交付で廃止(1873年)

正解は(ア)徳川家光となります。徳川家光の時代に出された土地に関する法令は、明治時代の地租改正前後で廃止になったということですね。


問2
これはなかなか判断が難しいですね。史料中にも国税総額に関する情報はありません。正解は(ウ)約85%なんですが、これは正解できなくても合否には影響しませんね。ただ、念のために以下にまとめておきましょうか。

≪国税総額に占める地租の割合≫

  • 約85%(1875年)
  • 約65%(1882年:松方正義によるデフレ政策開始のころ)

問3
空欄②の前後の部分では、「以後仮令豊熟ノ年ト雖モ( ② )税申シ付ケサルハ勿論」とあります。
「以後、たとえ豊作の年であったとしても( ② )税は申し受けないことはもちろん」というざっくりした意味ですが、地租改正の基本として、「地租は地価の3%を現金で納める」というのが決まりでした。豊作の年であったとしても税を増やすことはしないということになりますから、②には「増」が入ります。

空欄③の前後の部分では、「違作ノ年柄之有リ候トモ( ③ )租ノ儀一切相成ラス候事」とあります。「違作」、つまり例年通りに作物が取れなかったとしても、( ③ )租はしてはいけない、という意味になります。不作の年であったとしても税を減らすことはするなということになりますから、③には「減」が入ります。

正解は(ウ)ですね。


問4
これはなかなかの難問です。史料中の「百分ノ( ➃ )」とくれば、どうしても(イ)三を入れたくなりますが、そこは前後をよく読まなければいけません。
空欄➃の前後には、「地租ハ終ニ百分ノ( ➃ )ニ相成候迄漸次減少致スヘキ事」とあります。地租の割合はすでに「百分ノ三」に定められていますが、「漸次減少」することも認められているわけですから、(イ)の三や(ウ)の五はあてはまらないことになります。

正解は(ア)の一が正解となります。


問5
これは知識問題ですね。正解は(ウ)茨城県です。地租改正反対一揆が起こった場所とその名称を整頓して押さえておきましょう。

≪地租改正反対一揆≫

  • 真壁騒動(1873年)…茨城県真壁郡で発生
  • 伊勢暴動(1876年)…三重県・愛知県・岐阜県・堺県で発生した最大級の反対一揆

(B)誘導型の史料問題

この史料については、これだけでは「いつの時代の、どんな内容が記されているのか」というのを把握することは難しいですね。しかし、問題が誘導型になっていますので、内容が把握できなくても大丈夫です。


問6
1909年の小説『それから』の作者は、(イ)夏目漱石ですね。文学史の分野でもありますが、『それから』以外の作品も押さえておくといいでしょう。

≪夏目漱石の代表作品≫

  • 『吾輩は猫である』
  • 『坊っちゃん』
  • 『三四郎』
  • 『こゝろ』

これらは高校日本史でもよく出題される重要作品です。


問7
設問文の最後に「二・二六事件で暗殺された」とあります。
大蔵大臣や内閣総理大臣経験者でもあるのは、(イ)高橋是清ですね。(ア)の斎藤実は内閣総理大臣経験者ですが、大蔵大臣にはなっていません。(ウ)の渡辺錠太郎は陸軍の教育総監であり、内閣総理大臣にはなっていません。

ちなみに、二・二六事件では選択肢の3人全員が殺害されていますので、この事件自体の背景も確認しておきましょう。


問8
これは難しいですね。正解は(ウ)ですが、選択肢を見てみますと、(ア)は猿と蟹で猿蟹合戦に関係していますし、(イ)はウサギと亀、(ウ)は牛と蛙で『イソップ寓話』に関係していますね。

ただ、漱石が「牛と競争する蛙」のたとえを使っていることは判断しにくい問題です。漱石の作品に登場する比喩や言い回しについて、少しずつ馴染んでいきましょう。


問9
設問文で、「詔書」「干支」とあります。1908年に出されたということですから、時期的には日露戦争の後、内閣でいえば第二次桂太郎内閣にあたります。この時に出された詔書とは(ウ)の戊申詔書(ぼしんしょうしょ)になります。

ここで、桂園時代と呼ばれる政権たらい回しの時代について、簡単に確認しておくことにしましょう。

≪桂園時代≫

  • 桂太郎(長州)…軍部・官僚を基礎/元老は山県有朋
  • 西園寺公望(公家)…立憲政友会総裁・資本家の支持/元老は伊藤博文

桂太郎と西園寺公望の2人で政権を交互に担ったこの時代は、明治時代後半の政治史を語る上で欠かせません。戊申詔書は農村振興を目的として出されたものであり、内容も確認しておきましょう。日露戦争後の経済疲弊に対応する政策の一環として重要な意味を持っています。


問10
これは難問ですね。まず「日糖事件」「国本社」というのを知っている受験生はほぼいませんので、ヒントになるのは「枢密院議長、内閣総理大臣」を経験した人物は誰なのか、ということになります。しかし、選択肢の3人とも内閣総理大臣を経験していますので、判断がつきにくいですね。正解は(イ)の平沼騏一郎です。

選択肢になっている3人について、以下にまとめておきますね。

  • (ア)林銑十郎(はやし・せんじゅうろう)…1937年に組閣。陸軍出身。軍部と財界が協力する体制をめざした
  • (イ)平沼騏一郎(ひらぬま・きいちろう)…1939年に軍需工場への動員を規定した国民徴用令を発布した
  • (ウ)幣原喜重郎(しではら・きじゅうろう)…1945年に組閣。戦前は「協調外交」を進めた人物としても有名。GHQより五大改革指令を口頭で受ける。20歳以上の男女に選挙権を与える新選挙法を発布した。これに伴い、戦後初の総選挙が実施され、39名の女性衆議院議員が誕生した。

さらに補足すると、平沼騏一郎は日独伊三国同盟への署名を拒否して総辞職した人物でもあります。このような背景を知ることで、ただ名前を覚えるだけでなく、日本の戦時外交の流れも理解しやすくなります。

(C)「国民所得倍増計画」の史料

この史料に「国民所得倍増計画」という用語がみえます。したがって、池田勇人内閣の頃のものであると分かります。


問11
これは落とせませんね。正解は(ウ)の池田勇人です。あとの2人の人物についてもしっかり押さえておきましょう。

  • (ア)鳩山一郎…1954年より3次にわたって組閣。日本民主党出身。日本社会党の再統一を受けて、自由民主党を結成した。1956年の日ソ共同宣言でソ連との国交を回復し、国際連合に加盟した。
  • (イ)岸信介…1957年より2次にわたって組閣。自由民主党総裁。1960年に日米新安全保障条約を衆議院で強行採決したため、安保闘争が起こる。

池田勇人は「所得倍増計画」で有名ですが、「寛容と忍耐」の姿勢を打ち出し、革新勢力との対立を避けながら政権運営を行ったことでも知られています。この点が、対立を引き起こした岸信介内閣とは対照的です。


問12
これはなかなかの難問ですね。問11で「国民所得倍増計画の構想」の閣議決定は1960年と分かりますが、それと同じ年の出来事は判断が難しいと思います。これも合否には影響しませんので安心してください。

  • (ア)インスタントラーメンの発売…1958年
  • (イ)カラーテレビの本放送開始…1960年
  • (ウ)海外旅行の自由化…1964年

正解は(イ)カラーテレビの本放送開始です。「カラーテレビ」という当時の日本の技術発展を象徴するトピックが出題されている点が興味深いですね。一問一答形式で覚えるだけでなく、時代背景や社会の変化を関連付けて理解するとさらに記憶に残りやすくなります。


問13
これは中学校の公民的分野の問題ですので、できれば正解したいところです。「国民総生産」の英語略称は(ア)のGNPです。

  • (イ)GNI…国民総所得(Gross National Income)
  • (ウ)GDP…国内総生産(Gross Domestic Product)

この問題のように、経済用語の基本的な違いを押さえておくことが大切です。GNPは国民全体の所得を測る指標であり、GDPは国内経済活動を測る指標です。この違いを問う問題は、公民の分野でも頻出です。


問14
これは難問です。正解は(イ)の「十」です。これを知っている受験生はほぼいないと思います。

しかし、このような細かい知識を学ぶ際に重要なのは、ただ覚えるだけでなく、どのような背景や意図でこうした数字が使われているのかを考えることです。そうすることで、同様のパターンの問題にも応用が利きやすくなります。


問15
これも難問です。正解は(イ)です。企業合理化促進法は1952年に制定され、これによって企業の設備投資の促進を図りました。したがって時期が1960年より前のことなので誤りとなります。

ちなみに「中小企業の近代化」をめざした法律としては、1963年に制定された中小企業近代化促進法などがあります。間違えたとしても合否にはまったく影響しませんが、こうした法律の流れを押さえておくと、近代日本の経済政策の理解が深まります。

≪池田勇人内閣(1960年から3次にわたって組閣)≫
池田勇人内閣の業績を以下に整理しておきましょう。

  • 「寛容と忍耐」…革新勢力との対立を回避し、改憲については棚上げした。
  • 「所得倍増計画」…10年間で所得を倍にする高度経済成長政策を行う。
  • LT貿易(1962~1967年)…政経分離を軸とし、日本と中国との貿易を推進した。

池田内閣の高度経済成長政策は、日本が戦後復興を経て先進国として飛躍する基盤を作りました。このように日本の成長を象徴する政策は、時代背景と関連付けて覚えると理解が深まります。


【日本史学習のワンポイントアップ③】

史料問題については教科書を優先!
史料問題については、何といっても教科書記載のものが優先です。学校で使用している史料集はかなり内容が濃いはずなので、教科書に記載されている史料は押さえておきましょう。


次回予告

では、第3回目はここまでといたします。関西大学の史料問題はなかなか歯ごたえのある、難しい問題が揃っていますが、落としてはいけない問題もありますので、常に基本重視でいきましょうね。次回もしっかり解説します!お楽しみに!

文責:藤井宏昌

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