はじめに
皆さんこんにちは。
創心館の藤井と申します。
2回目のブログとなりました。よろしくお願いします。
さて、今回も【2022年度・関西大学(文系)全学日程2月1日】の日本史です。
今回は第2問を解説していくことにします。
問題に挑戦!
前回と同様、まずは問題を解いてみてくださいね。
【解説】江戸時代から明治時代の外交史を攻略!
大問2は、江戸時代から明治時代にかけての外交史です。特に、琉球王国やロシアとの関係は入試でもよく出ますので、問題を確認しながら、ポイントとなる内容を押さえていきましょう。
(1)空欄の前に「1635(寛永12)年に日本人の海外渡航と在外日本人の帰国を禁止」、また空欄の後に「その2年後に平戸のオランダ商館を長崎の出島へ移し」とあります。
つまり、鎖国の完成にいたる基本的な知識が問われています。改めて確認してみましょうか。
≪鎖国の完成≫
- 1633年=奉書船制度の開始(朱印状に加えて、老中発行の奉書が必要となった)
- 1635年=日本人の海外渡航と在外日本人の帰国を禁止
- 1637年=島原・天草一揆(天草四郎時貞を首領とした一揆。老中松平信綱率いる幕府軍に敗北した)
- 1639年=ポルトガル船の来航を禁止
- 1641年=平戸のオランダ商館を長崎の出島に移す(鎖国の完成)
したがって、(セ)ポルトガルが正解になりますね。こうしてみると、「2年ごと」というのがポイントになりますので、比較的覚えやすいと思います。
(2)江戸時代の正式な貿易は、日本と清、日本とオランダの2国に限定されました。
日本からの輸出品については、銀や海産物を問うパターンが多いのですが、ここでは(テ)の銅を答えさせています。これはなかなか難しいですね。
さて、「海産物」が輸出されていることが長崎貿易の大きな特徴ともいえますが、中国向け食料用海産物のことを「俵物」といいます。代表的な俵物の海産物としては、「いりこ(=なまこを煮て干したもの)」「ふかのひれ」「ほしあわび」の3つが有名です。これらを中国の皇帝やその一族が珍味として食べたそうですが、それが宮廷料理として日本に逆輸入され、高価な中華料理となっています。
貿易の輸出品については全部覚える必要はないのですが、日宋貿易=金、日明貿易や日朝貿易=銅、南蛮貿易=銀を確実に覚えておきましょう。
(3)正解は、(サ)のバタヴィアです。
さて、この「バタヴィア」とは現在のインドネシアの首都であるジャカルタです。つまり、オランダはインドネシアを拠点に貿易活動をしていたわけですね。
≪各国の貿易の拠点≫
- オランダ…バタヴィア(現在のジャカルタ)
- ポルトガル…マカオ(香港の隣)
- スペイン…マニラ(現在のフィリピンの首都)
各国の拠点を整頓して押さえておきましょう。
(4)空欄の前に「1715(正徳5)年」とあります。
したがって「正徳の治」を想起して、この時期に政治を行っていた人物は、新井白石と分かります。江戸幕府の財政が厳しい状況にあったので、長崎貿易での入港数や取引額に制限を設けるようになりました。これを「海舶互市新例(長崎新令・正徳新令)」といいます。その内容を改めて整頓しておきましょう。
≪海舶互市新例の内容≫
- オランダとは…年間2隻に来航を制限・取引額は3000貫に制限
- 清とは…年間30隻に来航を制限・取引額は6000貫に制限
ということで、正解は(タ)30が正解となります。
(5)空欄の前に「琉球王国は…将軍の代替わりに」とあります。
琉球王国は薩摩藩の支配を受け、同時に江戸幕府に対して使節を送っています。比較してみましょうか。
≪琉球使節≫
- 慶賀使(けいがし)…将軍の代替わりごとに送られた使節。「おめでとう」の意味。
- 謝恩使(しゃおんし)…琉球国王の代替わりごとに送られた使節。「ありがとう」の意味。
ということで、正解は(ク)の慶賀使です。似た言葉を比較して覚えることが重要ですね。
(6)(7)空欄の前に「翌年(1872年)に」とあります。
琉球王国の成立から沖縄県に至る歴史も、外交史ではよく出ますね。以下のように整理して押さえておきましょう。
≪琉球王国・沖縄に関する歴史(明治時代まで)≫
- 1429年=尚巴志(しょうはし)が三山を統一して、琉球王国が成立
- 1609年=薩摩藩による琉球王国への侵攻(この時の琉球国王は尚寧〔しょうねい〕)
- 1872年=琉球藩の設置(琉球王国最後の国王は尚泰〔しょうたい〕)
- 1879年=沖縄県の設置
したがって、(6)の正解は(フ)の琉球藩、(7)は(イ)の尚泰となります。尚氏については、「尚巴志(室町時代)→尚寧(江戸時代)→尚泰(明治時代)」と流れで押さえると覚えやすいですね。
(8)空欄の後に「ロシアと樺太・千島交換条約を結び」とあります。
1875年にこの条約を結んだ駐露公使は、(ナ)の榎本武揚(えのもとたけあき)です。この条約については、教科書や資料集の地図に国境線が載っていますので、必ず確認しておいてください。
≪樺太・千島交換条約(1875年)≫
- 目的=樺太での日本人とロシア人との紛争をなくすため(1854年の日露和親条約で樺太は両国雑居地と定められていたため)
- 全権=(日本)榎本武揚/(ロシア)ゴルチャコフ外相
- 領土画定=千島(ウルップ〔得撫〕島からシュムシュ〔占守〕島まで)を日本領、樺太をロシア領とする
この時期の日本外交を語るうえで重要な条約ですので、条約の背景や内容を押さえておきましょう。
(9)これは難しいと思います。
(8)の解説にもありますが、千島列島がどの島からどの島までを指しているのかを知っていないと難しいですね。正解は(シ)得撫島です。
千島列島の島々については、地図を見ながら、どの位置にあるかを視覚的に理解しておくと良いでしょう。択捉島(日本最北端)の北側に位置するのが得撫島です。
(10)空欄の後に「1861年(文久元年)に役人を派遣して領有を確認したものの、その後引き揚げていたので」とあります。
これは難問ですね。正解は(チ)の小笠原諸島です。
現代の話になりますが、1952年にサンフランシスコ講和条約が発効して、アメリカ合衆国の下に置かれました。その後、1967年に小笠原返還協定が結ばれ、1968年に返還が実現しました。沖縄返還が1972年ですので、それよりも早く日本に返還されていることも押さえておくと良いですね。
【日本史学習のワンポイントアップ②】
日本史用語集を活用しよう!
日本史用語集を持っている人も多いと思います。ただ、これは覚えるものではなくて辞書として使ってほしいです。用語の意味や背景を調べることで、知識が広がります。まあ、眺めるだけでも結構面白いんですけどね。
次回予告
では、第2回目はここまでといたします。次回もしっかり解説します!お楽しみに!
文責:藤井宏昌