【関西大学日本史入試解説】大問4の会話文問題の攻略!

【シリーズ】藤井の過去問解説

はじめに

皆さんこんにちは。
創心館の藤井と申します。
4回目のブログとなりました。今回もどうぞよろしくお願いします。

引き続き【2022年度・関西大学(文系)全学日程2月1日】の日本史です。
今回は第4問を解説します!

まずは問題を解こう!

毎回のことですが、まずは問題を自分で解いてから解説を読んでくださいね。
本文が読めなかったら東進の過去問データベースなどを参照してください。

どうですか?解けましたか?

【解説】選択肢をマークする会話文問題

先生と学生の会話文の途中にある選択肢をマークする問題です。


(1)中国の歴史書シリーズに関する出題

空欄の前後に「仁徳天皇陵」「倭の五王」の用語がみえます。倭の五王が活躍したのは古墳時代の5世紀にあたりますが、この当時、ヤマト政権は中国とさかんに交渉を行っていました。その相手国は「南宋」になりますので、正解は(ウ)『宋書』倭国伝ですね。

さて、中国の歴史書シリーズはどこの大学でも頻出です。必ず押さえておきましょう。

≪中国の歴史書シリーズ≫
①「漢書地理志」(紀元前1世紀)
→倭が百余りの国に分かれ、楽浪郡に使いを送る
②「後漢書東夷伝」(1~2世紀)
→奴国が「漢委奴国王」の金印を授かる、倭国王帥升(すいしょう)が生口(奴隷)を献上した
③「魏志倭人伝」(3世紀)
→邪馬台国連合(卑弥呼が「親魏倭王」の称号を授かる)、帯方郡に使いを送る
④「高句麗好太王碑文」(4世紀)
→倭の朝鮮進出、高句麗に敗北した記録
⑤「宋書倭国伝」(5世紀)
→倭の五王が中国南朝に使いを送る、倭王の武が「安東大将軍」の称号を授かる
⑥「隋書倭国伝」(6世紀)
→小野妹子の遣隋使の記録、聖徳太子が対等外交を狙う


(2)古市古墳群の所在地

空欄の後に、「誉田御廟山古墳」「古市古墳群」がみえます。ただ、これらの古墳群が大阪府の何市にあるのかを知っている受験生は、地元の人は分かるかも知れませんが、なかなか難しいですね。正解は(イ)羽曳野市(はびきのし)です。


(3)倭の五王に関する比定

学生Dの「応神天皇も倭の五王の一人なのでしょうか」という発言を受けて、先生が「( 3 )に当てる説が有力化した」と発言しています。ここで倭の五王について整頓しておきましょう。

≪倭の五王≫
○讃(さん)・珍(ちん)・済(せい)・興(こう)・武(ぶ)
○讃=応神天皇・仁徳天皇・履中天皇のいずれかに比定されている
○珍=反正天皇・仁徳天皇のいずれかに比定されている
○済=允恭天皇に比定されている
○興=安康天皇に比定されている(武の兄)
○武=雄略天皇に比定されている(興の弟)

以上から、(ア)の讃が正解となります。たいていは済・興・武が何天皇に比定されているかを問う問題が多いのですが、なかなか判断に迷う問題といえますね。


(4)与謝野晶子が主宰した雑誌

空欄の前に「与謝野晶子」がみえます。与謝野晶子が主宰した雑誌を選ぶ問題ですが、これは落としてはいけませんね。正解は(イ)の『明星』です。与謝野晶子はロマン主義文学者として「君死にたまふことなかれ」の反戦詩であまりにも有名ですね。


(5)後三条天皇と白河上皇

空欄の後に「皇子で、1086年に譲位した白河上皇」とあります。これも落とせない問題です。正解は(ア)の後三条天皇です。藤原氏の摂関政治がほぼ終結し、天皇中心の政治にシフトしていく上で大変重要な天皇です。後三条天皇についてポイントを整頓しておきましょう。

≪後三条天皇≫
○藤原氏を中心とした摂関家を外戚としなかった
○延久の荘園整理令(1069年)…1045年以降の新立荘園を禁止、書類不備な荘園も停止
○記録荘園券契所(1069年)…荘園整理のための執行機関
○延久の宣旨枡を制定


(6)藤原定家と熊野参詣の日記

空欄の前に「藤原定家」がみえます。彼の熊野参詣の日記を選ぶ問題ですが、なかなか判断に迷いますね。藤原定家といえば『新古今和歌集』の撰者の一人として覚えているぐらいですからね。正解は(イ)の『明月記』(めいげつき)です。

≪関連する日記≫

  • 『明月記』…藤原定家の日記
  • 『中右記』…藤原宗忠の日記
  • 『海道記』…作者未詳

藤原定家は、『新古今和歌集』の撰者としても非常に重要な人物ですので、彼の著作については確実に押さえておきましょう。


(7)姫路城と池田輝政

空欄の前後に「姫路城」「池田輝政が入城」とあります。これはなかなかの難問です。正解は(イ)の関ヶ原の戦いです。関ヶ原の戦い(1600年)後に姫路城に入城した池田輝政は、大規模な改修工事を行い、1609年に完成しています。

姫路城は「白鷺城」とも呼ばれ、日本の城郭建築の中でもその美しさが際立っています。池田輝政の改修によって現在の形が完成したとされています。


(8)沖縄返還と佐藤栄作

空欄の前後に「山陽新幹線が姫路を通って岡山まで開通したのは1972年3月のこと」「今から約50年前のこと」「同じ年の5月には…沖縄の日本(本土)復帰」とあります。

1972年時点の内閣総理大臣が分からなくても、沖縄返還を実現させた内閣総理大臣とくれば、(ア)佐藤栄作です。戦後を代表する人物の一人である佐藤栄作の業績をしっかり把握しているかどうかで、差がつく問題といえるでしょう。

≪佐藤栄作内閣(1964年から3次にわたって組閣)≫

  • 日韓基本条約(1965年)…韓国との国交正常化
  • ベトナム戦争(1965~1973年)への対応
  • 非核三原則の表明(1967年)
  • 小笠原諸島返還(1968年)
  • 沖縄返還協定(1971年)→沖縄返還(1972年)

(9)明恵と高山寺

空欄の前後に「明恵が復興」「明恵は華厳宗の学僧」とあります。これは基本問題なので落とさないように。正解は(ア)の高山寺(こうざんじ)です。

鎌倉時代には法然や親鸞などの新仏教がブームとなりましたが、それに対抗するかたちで旧仏教の革新も行われました。基本的な内容を以下に整理しておきます。

≪鎌倉旧仏教の革新≫

  • 貞慶(じょうけい・法相宗)…「興福寺奏状」で法然を批判
  • 高弁(こうべん・華厳宗)…明恵(みょうえ)とも呼ばれ、高山寺を拠点に活動。「摧邪輪」を著し、法然を批判
  • 叡尊(えいぞん・律宗)…西大寺を拠点とし、諸国を巡って社会事業を推進
  • 忍性(にんしょう・律宗)…極楽寺を拠点に活動し、奈良に北山十八間戸(ハンセン病患者の療養施設)を設ける

(10)明恵の著作『摧邪輪』

(9)でまとめたように、明恵は(ウ)『摧邪輪』(さいじゃりん)で法然を批判しています。

≪関連著作≫

  • 『摧邪輪』…明恵による法然批判の書
  • 『歎異抄』…親鸞の弟子・唯円が記した、悪人正機の教えを明らかにした書
  • 『愚管抄』…慈円が記した、道理に基づく歴史の解釈を示した書

(11)東寺の再建支援者

空欄の前に「東寺(教王護国寺)も何度も焼失しています」「1603年」とあり、これが再建されるにあたって資金援助をしたのは誰か、という問題です。いずれも豊臣氏なので判断に迷いますね。ただ、1603年が江戸時代の始まりということを考えて、正解は(ウ)の豊臣秀頼と判断できるかと思います。


(12)平城宮の政務・儀礼の中心建物

空欄の前に「平城宮跡」「政務・儀礼の中心的建物」とあります。朝廷における政治や儀式をつかさどる建物は、(ウ)の大極殿です。

≪平城宮の建物≫

  • 大極殿…政務・儀礼の中心建物
  • 朱雀門…平城宮の正門
  • 紫宸殿…天皇の住まいである内裏の正殿

(13)東大寺大仏焼失と松永久秀

空欄の前に「東大寺の大仏と大仏殿も何度か焼けている」「戦国時代」とあります。正解は(イ)の松永久秀です。

東大寺に関する問題は基本知識として問われることが多いため、ここで確実に正解を取りたいところです。


(14)志賀直哉の長編小説

空欄の前に「志賀直哉」とあります。志賀直哉の有名な長編小説といえば(ア)の『暗夜行路』ですね。(ウ)の『城の崎にて』も志賀直哉の代表作ですので、受験生にとっては迷いやすいところです。(イ)の『新しき村』は武者小路実篤らによって創設された理想郷のことです。


(15)志賀直哉と白樺派

これは基本的な内容ですので、ぜひとも正解したいところです。志賀直哉は(ウ)の白樺派を代表する作家です。ここで、大正時代の文学のジャンルについて、整頓しておきましょう。

≪大正時代の文学≫

  • 耽美派(たんびは)…雑誌『スバル』/谷崎潤一郎・永井荷風ら
  • 白樺派…雑誌『白樺』/武者小路実篤・志賀直哉・有島武郎ら
  • 新思潮派…雑誌『新思潮』/芥川龍之介・菊池寛ら
  • 新感覚派…雑誌『文芸時代』/横光利一・川端康成ら
  • 大衆小説…中里介山・吉川英治ら
  • プロレタリア文学…雑誌『種蒔く人』『戦旗』/葉山嘉樹・小林多喜二・徳永直ら

【日本史学習のワンポイントアップ➃】

内閣総理大臣が覚えられない人は、明治時代・大正時代・昭和時代・平成時代に分割してみてはどうでしょうか。一気に覚えるのもいいんですが、問題を解くときに時代を把握しにくくなります。図説で何時代の首相なのか、ぜひ確認しておいて下さい。


おわりに

第4回目はここまでといたしまして、関西大学の過去問解説を終了します。
次回はどの大学になりますでしょうか。次回もしっかり解説します!お楽しみに!

文責:藤井宏昌

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