はじめに
皆さんこんにちは。
創心館で主として社会科・地歴公民科を担当しております、藤井宏昌と申します。
今回より、近畿圏で受験者数の多い大学の、特に日本史の問題解説をさせて頂ければと思います。
日本史と聞くと、「覚える内容が多すぎる」「漢字難しくて…」といった悩みを多くの日本史受講生から聞いてきました。受験生でなくとも、非受験学年の生徒さんでも、定期テストのたびごとに悩んでいることと思います。
日本史の知識をどのくらい持っていれば、いわゆる「関関同立・産近甲龍」に合格できるのかというのは、大学入試問題に聞いてみるしかありません。そこで、日本史の問題を通してそういった疑問や悩みを解決していくためのきっかけにしてほしいのが、私が執筆するブログです。
では、前置きはそれぐらいにしまして、早速、問題にあたってみることにいたしましょう。
まずは問題を解いてください
まずは問題を解いてみましょう。
問題を解いてから解説を読むと、より理解が進みますよ。
解き終わりましたか?それでは解説に進みます。
【解説】平安時代文化の空欄補充問題を攻略!
この大問は、平安時代の文化についての空欄補充問題です。空欄ごとに解説をしていきますが、関連する項目もしっかり解説していきますね。
(1)空欄の前に「藤原実資」がいます。
彼は藤原道長に仕え、右大臣としても活躍した、平安時代を代表する政治家の一人です。右大臣の「右」という字をとって、彼は『小右記』を著しました。したがって、(ネ)が正解ですね。
藤原道長が、4人目の娘である威子を天皇家に嫁がせた宴席の場で、即興で詠んだのが「この世をば わが世とぞ思ふ望月の かけたることもなしと思へば」ですが、この和歌が記載されています。ちなみに、藤原道長は『御堂関白記』という本を書いていますが、関白になったことはありませんので、注意ですね。
(2)空欄の後に『蜻蛉日記』がみえます。
そうすると藤原道綱の母が著者ですので、(フ)が正解です。よく出題されて間違いやすいのは、(キ)の菅原孝標の女でしょうね。彼女は『更級日記』を著していますから違いますね。
『蜻蛉日記』(藤原道綱の母)⇔『更級日記』(菅原孝標の女)のように、文化史は似た者同士を比較して覚えるようにすれば、かなりの力がつきますよ。
(3)空欄の前に「最初のかな日記とされる」とあります。
このように日本史では「最初の」にまつわる用語の出題率が非常に高いんですね。「日記」を含む語群をみますと、(セ)土佐日記、(ナ)和泉式部日記、(ヘ)紫式部日記がありますが、最初のかな日記とされるものを知っている受験生は意外に少ないかもしれませんが、正解は(セ)の『土佐日記』です。
『土佐日記』といえば、著書の紀貫之はすぐ出てこなければいけない人物ですね。延喜の治をやった醍醐天皇の命で、最初の勅撰和歌集(天皇の命令で作らせた和歌集)として『古今和歌集』があります。できれば『土佐日記』のイントロである「おとこもすなる日記といふものを、おんなもしてみんとてするなり」ぐらいは暗唱しておいても損はありません。
(4)空欄の前に「最初の勅撰和歌集」というのがみえますね。
(3)の解説とつながりました。正解は(ヌ)の『古今和歌集』です。この『古今和歌集』を最初として、最後の『新古今和歌集』まで八つの勅撰和歌集が作られました。
古今→後撰→拾遺→後拾遺→金葉→詞花→千載→新古今ときますが、『新古今和歌集』以外は平安時代のものと覚えておくとよいでしょうね。
『古今和歌集』(紀貫之・醍醐天皇の頃)⇔『新古今和歌集』(藤原定家・後鳥羽上皇の頃)というように、これも比較して覚えておきましょう。
(5)空欄の後に、「日本最初の往生伝である『日本往生極楽記』」とあります。
やはり、日本最初シリーズできましたね。正解は(サ)慶滋保胤(よししげのやすたね)です。読みの難しい人物ですが、何度も音読しましょう。
往生伝というのは、「この世で阿弥陀仏に救われた人の体験記」という理解でいいと思います。平安時代には末法思想の影響で浄土教が流行したことは基本的な知識ですね。日本では末法初年=永承7年=1052年と考えられており、1053年に藤原頼通が宇治の別荘を平等院鳳凰堂とし、中央に阿弥陀如来像を安置したことも押さえておきましょうね。
ちなみに、慶滋保胤のその他の著作としては『池亭記』(ちていき)があり、これには平安京の西部に当たる右京が、桂川の湿地帯のために衰退したという記録があります。
(6)空欄の前後に「比叡山」「源信は『往生要集』を著し」とあります。
「比叡山」とあれば「延暦寺!」と答えたくなりますが、語群には存在しません。そこで、源信(げんしん)が比叡山のどこで修行していたかを知っておく必要があります。
源信のニックネームは「恵心僧都」(えしんそうづ)と呼ばれ、横川(よかわ)にあった恵心院で修行・修学していました。したがって、(ツ)の横川が正解です。
なかなかの難問ですが、「横川の恵心僧都」といった言葉を学校で聞いたことがある方もいるのではないでしょうか。
(7)空欄の前に「五代十国のうち杭州に都を置いた」とあります。
これは難しいですね。正解は(ハ)の呉越国なんですが、入試では合否に全く影響しない知識ですので、できなくてもご安心ください。
ただし、平安時代の国際関係や中国の歴史が好きな方は、興味を持って調べてみると良いでしょう。
(8)空欄の前に「平等院鳳凰堂阿弥陀如来像に」、空欄の後に「新たな技法」とあります。
つまり、「平等院鳳凰堂阿弥陀如来像に用いられている技法は何か」という問題です。これは落とせませんね。正解は(ク)寄木造(よせぎづくり)です。
平安時代は浄土教の大ブームで、仏像の需要が急速に高まりました。今までのように(ホ)一木造(一つの木材から仏像を造る技法で、平安時代初期に広まった)では間に合わないわけです。
そこで、仏像をプラモデルのように各パーツに分けて、それを組み合わせる技法、「木」を「寄」せて造る技法なので寄木造というわけです。これを広めたのが定朝(じょうちょう)でした。
仏像の製作技法については頻出ですよ。
乾漆像・塑像(奈良時代)→一木造(平安時代初期)→寄木造(平安時代中期)の順に覚えておきましょう。まずは技法を押さえることが重要で、仏像の名前を覚えるのはその後でも大丈夫です。
(9)空欄の前に「大和絵が誕生し」「その祖」とあります。
日本史では「最初の」と同様に、「祖」というのも非常によく出ます。大和絵の祖は(コ)巨勢金岡(こせのかなおか)が正解です。
大和絵というのは、日本古来の風物を題材に描かれた絵画で、皆さんは「花鳥風月」という用語を見たら大和絵に関する出題だなと思ってもらって大丈夫です。
(10)空欄の前に「絵巻物」「院政期」、空欄の後に「修行僧命蓮にまつわる説話」とあります。
実は、大学入試で出てくる絵巻物というのはそんなに覚える数は多くありません。特に、院政期の絵巻物をしっかり覚えておけば大丈夫です。
○『源氏物語絵巻』=その名の通り、紫式部の『源氏物語』を素材にした絵巻物
○『信貴山縁起絵巻』(しぎさんえんぎえまき)=信貴山(大阪府と奈良県にまたがる信貴山の修行僧命蓮の説話を素材にした絵巻物。黄金のさかずきで倉を飛ばす場面が有名)
○『伴大納言絵巻』(ばんだいなごんえまき)=応天門の変(866年)を素材にした絵巻物。「伴大納言」は「伴善男」をさす)
○『鳥獣戯画』(ちょうじゅうぎが)=人物を動物に例えて描写した絵巻物。当時の世相を風刺している)
この4つは「源」「信」「伴」「鳥」と頭文字をとって、「げんしんばんちょう」と覚えておきましょう。
さらに、教科書や資料集で絵そのものを確認しておくと記憶に残りやすいですよ。
【日本史学習のワンポイントアップ①】
日本史の教科書は本文よりも周辺の史料・図・写真をみておこう!
本文ばっかりにマーカーをひいてカラフルにしても、なかなか記憶には残りにくいものです。周辺の図版や資料を重点的に見ることで、効果的に知識を定着させることができます。
次回予告
いかがでしたか?平安時代の文化を深く理解することで、受験勉強や日本史の楽しさをさらに感じていただけたのではないでしょうか。次回も同様に、わかりやすく問題解説をしていきますのでお楽しみに!
文責:藤井宏昌