【2022年度・近畿大学(法・経済・経営・文芸・総合社会)】日本史問題の解説開始~問1編~

【シリーズ】藤井の過去問解説

はじめに

みなさんこんにちは。
創心館の藤井と申します。
大学入試問題日本史の全問解説ブログも5回目となりました。
今回もどうぞよろしくお願いします。

まずは問題を解いてみよう!

解説を読む前にまずは自分で一度解いてみてください。

問題を解いてからすぐに解説を読むことで、自分に足りない知識は何か、何を知っていれば正解が出せたのか、そういったことがわかりますので、身につく度合いも格段にアップしますよ。

【2022年度・近畿大学(法・経済・経営・文芸・総合社会)】日本史問題の解説開始!

今回より【2022年度・近畿大学(法・経済・経営・文芸・総合社会)】の日本史の問題を扱っていきます。

近畿大学は日本の私立大学の中でも有数の受験者数を誇るだけに、最近では問題の難易度が上がっているように感じますね。
基本を大事にし、かつプラスアルファの知識も、問題解説を存分に活用してどんどん入れていきましょう。

では、さっそく第1問を解説します!

【第1問の解説】史料問題を攻略するための基本

第1問は史料問題です。史料問題を攻略するための基本は、史料の中に書かれているキーワードをもとに「いつの時代の何についての史料なのか」をざっくりと把握することです。
では、A・Bが何についての史料なのか、キーワードをもとに見ていきましょう。

Aについての考察

史料の中に「聖徳太子」「天平勝宝六年二月」「吉備朝臣真備」「廬舎那仏殿」というのがみえます。
ということは、「飛鳥時代から奈良時代にかけての仏教に関する史料だな」という内容とだいたい分かります。

Bについての考察

史料の中に「遣唐使の進止」という非常に分かりやすいキーワードがあります。
ということは「平安時代の遣唐使の停止に関する史料だな」と分かります。


問1:空欄1について

空欄1の前に「朕」、空欄1の後に「戒壇を立てて戒律を伝授せんと欲す」とあります。「朕」とは天皇のことを指しますし、「吉備朝臣真備」が「朕」と同じ時期の人物であることもヒントになります。
よって、正解は➃の東大寺です。②の金剛峯寺や③の延暦寺は平安時代の寺院ですので除外されます。そして、「朕」=聖武天皇と確定できますね。

補足知識

東大寺は戒壇の一つにあげられ、戒律を伝授する(これを授戒といいます)場でした。大学入試では「天下三戒壇」として出題されることがありますので、ここで紹介しておきましょう。

≪天下三戒壇≫

  • 東大寺(大和国・奈良県)…鑑真が授戒を担当
  • 観世音寺(筑紫国・福岡県)…玄昉が授戒を担当
  • 下野薬師寺(下野国・栃木県)…道鏡が授戒を担当

問2:空欄2について

空欄2の前に長々と肩書が書かれていますが、Bの史料が「遣唐使の停止」に関する内容であることを踏まえれば、①の菅原道真が正解ですね。

補足知識:遣唐使の停止(894年)

  • この時の天皇は宇多天皇であった。宇多天皇の政治を「寛平の治(かんぴょうのち)」という。
  • 遣唐使の停止の背景として、唐の内乱(安史の乱)、貴族の文化吸収意欲の減退、航海の危険などがあった。

問3:藤原武智麻呂を祖とする家を選ぶ問題

正解は③の南家です。

藤原武智麻呂を祖とする家を選ぶ問題です。近畿大学レベルであれば、奈良時代に活躍した「藤原四子」については名前とともに何家かを押さえておく必要があります。

この問題では、奈良時代に活躍した「藤原四子」に関する知識が必要となります。藤原四子は藤原不比等の息子たちで、それぞれが「南家」「北家」「式家」「京家」に分かれ、後の政治に大きな影響を与えました。

補足知識:藤原四子の整理

  • 730年代にあたり、当時の天皇は聖武天皇であった。
  • 藤原不比等の息子たちであり、光明子を聖武天皇の皇后にした。
    藤原武智麻呂(むちまろ)…南家 → 藤原仲麻呂の乱(恵美押勝の変)で断絶
  • 藤原房前(ふささき)…北家 → 藤原道長・藤原頼通などへ続く
  • 藤原宇合(うまかい)…式家 → 藤原薬子の変で断絶
  • 藤原麻呂(まろ)…京家 → 麻呂の死亡で断絶

問4:天下三戒壇に関する問題

問1で紹介した「天下三戒壇」に関連する問題です。正解は③の鑑真です。

補足知識:鑑真について

  • 鑑真は航海の危険を省みず日本に戒律を伝え、唐招提寺を開いた僧として有名です。
  • また、淡海三船(おうみのみふね)が鑑真の記録として『唐大和上東征伝』という本を書いています。このことからも、「大和上」=鑑真と特定できます。

問5:聖徳太子が定めた法令に関する問題

正解はです。聖徳太子が定めた法令の文を選ぶ問題です。選択肢はすべて史料ですが、教科書などに載っているものもあれば、そうでないのもあります。さて、正誤判定問題は「分析的に解け」というのが基本です。つまり、正しいものを選ぶのであれば他の選択肢は絶対に間違っていること、逆に誤っているものを選ぶのであれば他の選択肢は絶対に正しいことを検証しなければいけません。この視点に立って問題を考えてみましょう。この選択肢の史料文は、聖徳太子が制定した十七条憲法の第十二条に該当します。

問題を解くポイント

正誤判定問題は「分析的に解く」ことが基本です。つまり、以下を検証する必要があります:

  1. 正しいものを選ぶ場合:他の選択肢は必ず間違っていることを確認する。
  2. 誤りを選ぶ場合:他の選択肢が全て正しいことを確認する。

選択肢の解説

  1. 「五十戸を以て里と為す」
    国・郡・里の地方制度を規定しているのは大宝律令ですので、これは×です。
  2. 「畿内・国司・郡司…防人…を置き」
    国司・郡司・防人は聖徳太子の時代には存在しないため、これも×です。
  3. 「子代の民」「屯倉」「部曲」「田荘」を罷めよ」
    ヤマト政権の土地や人民の制度をすべて廃止する内容ですが、これは646年の改新の詔に記載されているため×です。
  4. 「十七条憲法の第十二条」
    結果的にこれが正解となりますが、実はこの史料文は聖徳太子が制定した十七条憲法の第十二条なんですね。十七条憲法の第十二条まで読み込んでいる受験生はほとんどいないため、間違えても合否に大きな影響はありません

問6:吉備朝臣真備らの排除を求めて起こった事件に関する問題

吉備朝臣真備らの排除を求めて起こった事件を選ぶ問題ですね。これは落とせない問題です。正解は②の藤原広嗣の乱です。

この問題では、奈良時代の政権争いが背景となっています。式家の藤原広嗣が、橘諸兄政権で権力を握っていた玄昉と吉備真備を排除しようとして九州で挙兵した事件が「藤原広嗣の乱」です。

これを重く見た聖武天皇がいったん平城京を離れて、恭仁京→難波宮→紫香楽宮と遷都したことも押さえておきましょう。超ハイレベル情報として、この藤原広嗣の乱を鎮圧した人物が大野東人(おおののあずまひと)であることも紹介しておきましょう。 さて、奈良時代はわずか80年ほどの短い時代でしたが、天皇家(皇族)と藤原氏の権力争いが絶えない時代でした。問題にもあげられていた奈良時代の乱や変について整頓しておきましょう。

補足知識:奈良時代の政争

藤原広嗣の乱は、聖武天皇が平城京を離れるきっかけにもなりました。乱の影響で以下の遷都が行われました:

  • 恭仁京(きょうにきょう)
  • 難波宮(なにわのみや)
  • 紫香楽宮(しがらきのみや)

奈良時代の主な乱や変

  • 長屋王の変(729年)藤原四子の娘である光明子を聖武天皇の皇后にすることで四子と対立し、長屋王が自殺した。
  • 藤原広嗣の乱(740年)玄昉・吉備真備を排除しようとして九州で挙兵
  • 橘奈良麻呂の変(757年)…橘諸兄の子である奈良麻呂を南家の藤原仲麻呂が鎮圧。
  • 恵美押勝の変(764年)…孝謙太上天皇・道鏡と対立した藤原仲麻呂(=恵美押勝)が滅ぼされた。

問7:大仏造立の詔に関する問題

仏造立の詔の史料文を選ぶ問題ですが、これらは教科書に記載されているものがほとんどですから、それぞれの史料が何に関わるものなのかを押さえておけば正解できますよ。
正解はです。この史料文は、聖武天皇が発布した「大仏造立の詔」に該当します。

選択肢の解説

  1. 「三宝=仏・法・僧」
    これは聖徳太子の十七条憲法に記載されている内容ですので、誤りです。「三宝=仏・法・僧」は日本史頻出事項ですよ。
  2. 「国分寺建立の詔」
    これは聖武天皇が発布した国分寺建立の詔ですので、間違いになります。当時、国分寺は五重塔ではなくて「七重塔」であったこと、国分寺の別名が納められたお経の名前にちなんで、「金光明四天王護国之寺」であったことも押さえておくと差がつきますよ。
  3. 「大仏造立の詔」
    これが大仏造立の詔です。天下の富と勢力を持つ「朕」(=聖武天皇)が、自らの権力をもって奈良の大仏を造ったことを述べたものです。これが正解です。
  4. 「刀狩令」
    これは時代が先になりますが、豊臣秀吉の発令した刀狩令の一節です。「取り上げた刀などは無駄にしないように、大仏(=方広寺)の釘などに利用せよ」というのが、刀狩の名目でありましたが、実際に方広寺は建立されています。ただし、大仏は焼失して現在はありません。したがいまして、正解は③となります。

補足知識:大仏造立の背景

  • 大仏造立は、聖武天皇が天平15年(743年)に発布した「大仏造立の詔」に基づき、奈良の東大寺に建立されました。
  • 目的は国の安定を祈るもので、「国家鎮護の仏教」とも呼ばれる思想が背景にあります。

問8:「天下三戒壇」に関連する問題

正解はです。問1や問4で紹介した「天下三戒壇」に関連する知識が必要です。

やはり、教科書の本文にはあまり記載されていないけれども、近畿大学レベルでは普通に出題してくる情報を、いかに問題演習を通して身につけているかが大切になってきますね。

補足知識:天下三戒壇の重要ポイント

  1. 東大寺(大和国・奈良県)
    鑑真が授戒を担当しました。奈良時代の仏教の中心地でもあります。
  2. 観世音寺(筑紫国・福岡県)
    玄昉が授戒を担当しました。九州地方の仏教文化の中心となる寺院でした。
  3. 下野薬師寺(下野国・栃木県)
    道鏡が授戒を担当しました。天平文化の広がりを示す重要な寺院です。

問9:遣唐使についての正誤判定問題

遣唐使についての正誤判定問題です。誤りを選ぶわけですので、誤りの選択肢が本当に誤りかどうかを確定しないといけませんね。
正解はです。この選択肢では小野妹子の派遣について述べていますが、遣唐使ではなく遣隋使に該当するため誤りです。

ただ、他の選択肢が正しい内容ですので、こういった情報を整頓しておくことも大切な日本史の勉強です。③の選択肢で「多くの場合4隻の船に乗って渡海した」とありますが、このことから遣唐使は「よつのふね」とも言われています。

選択肢の解説

  1. 小野妹子の派遣は遣隋使
    遣唐使と混同しやすいですが、隋(隋の煬帝)に派遣された使者であるため誤りです。
  2. 8世紀には定期的に派遣されていた
    正しい内容です。遣唐使は、遣隋使に続いて唐に派遣され、8世紀を通じて交流が行われました。
  3. 「多くの場合4隻の船に乗って渡海した」
    これも正しい内容で、「四つの船」(よつのふね)とも呼ばれていました。
  4. 遣唐使初期の航路は北路を使った
    初期の遣唐使は朝鮮半島を経由する北路を使いましたが、のちに南路(日本から直接海を渡る航路)も利用されました。

補足知識:遣唐使の重要ポイント

  • 遣唐使は、日本が唐の進んだ文化を吸収するために派遣した使者団です。
  • 894年、菅原道真の建議により停止されました。

問10:遣唐使停止時の天皇についての問題

「寛平六年」の年代が分からなくても、菅原道真が遣唐使の停止を建議した天皇を思い出しましょう。

正解は②の宇多天皇です。この問題は、遣唐使停止の背景と、その時代の天皇を押さえているかがポイントです。

補足知識:遣唐使停止(894年)

  • 宇多天皇の治世において、遣唐使は停止されました。
  • 停止の背景には以下のような理由が挙げられます:
    • 唐の国内での内乱(安史の乱や黄巣の乱など)
    • 航海の危険性
    • 日本国内における唐文化の吸収が一段落したこと

【最後に】学習のワンポイントアドバイス

日本史は「原因」と「結果」を必ず押さえることが重要です。私の授業でも因果関係を確認するようにしています。それが一つずつ分かると、教科書も非常に読みやすくなり、覚えた内容のアウトプットも可能になりますよ。


さて、今回はいかがでしたでしょうか?
近畿大学の問題は、教科書レベルの問題は落とさず、ハイレベルな問題を新しい知識として身につけることで十分な力を身につけることがつきます

では、第5回目はここまでといたしましょう。

次回は近畿大学の第2問を解説しますので、どうぞお楽しみに!

文責:藤井宏昌

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