【2022年度・近畿大学(法・経済・経営・文芸・総合社会)】日本史問題の解説(第2問)

【シリーズ】藤井の過去問解説

はじめに

皆さんこんにちは。

創心館の藤井と申します。

大学入試問題日本史の全問解説ブログ、6回目でございます。

今回もどうぞよろしくお願いします。

【2022年度・近畿大学(法・経済・経営・文芸・総合社会)】日本史問題の解説(第2問)

今回は第2問を解説します!
基本的な問題を落とさずに、難しい問題は新しい知識として、どんどんものにしていってくださいね

まずは問題を解いてみてください。

問1:鎌倉時代の旧仏教に関する問題

解説

空欄1の前に「高山寺」「華厳宗」という用語が見えますね。このブログを第1回目から勉強している人にとっては、「おお!きた!」という問題ですよね。
鎌倉時代の旧仏教で活躍した人物を思い出しましょう。正解は➃の明恵でした。

同じ年に関西大学でも近畿大学でも出題されているのですから、この人物は非常に重要ですよね。

補足知識:明恵について

  • 明恵(みょうえ)は鎌倉時代の僧侶で、華厳宗の僧として高山寺で活動しました。
  • その学問的業績や仏教改革への取り組みから「高山寺の明恵」として知られています。
  • 同じ年に関西大学でも近畿大学でも出題されていることからも、この人物が非常に重要であることが分かります。

問2:室町時代の有力守護大名に関する問題

解説

空欄2の前に「山名氏清」という人物が見えます。これは落とせない超重要問題ですね。
正解は②の明徳の乱です。
時期的には室町時代の3代将軍足利義満のころであり、有力守護大名が次々に討伐され、足利義満の権力がゆるぎないものになっていくきっかけとなりました。では、室町時代初期の有力守護大名の乱についてまとめておきましょう。

補足知識:明徳の乱と室町時代初期の有力守護大名の乱

明徳の乱は、室町時代初期の3代将軍足利義満が、有力守護大名を討伐して権力を確立していく過程の一つです。
以下に、室町時代初期の有力守護大名の乱を整理します。

≪室町時代初期の有力守護大名の乱≫

  • 明徳(めいとく)の乱(1391年)…「六分一殿」と呼ばれた山名氏清を、足利義満が討つ。
    • 六分一殿」の由来は、当時の66か国のうち11か国の守護を支配していたことによります。
  • 応永(おうえい)の乱(1399年)…6か国の守護であった大内義弘を、足利義満が討つ。
  • 永享(えいきょう)の乱(1438~39年)…鎌倉公方の足利持氏を、6代将軍足利義教が討つ。
  • 嘉吉(かきつ)の変(1441年)…播磨の守護赤松満祐が、6代将軍足利義教を討つ。
  • 享徳(きょうとく)の乱(1454~77年)…鎌倉公方足利成氏と関東管領上杉氏の争い。関東が一足早く戦国時代に突入するきっかけとなりました。

問3:源平の争乱に関する問題

解説

空欄アの前に「讃岐国」とあります。リード文の内容から、これは源平の争乱の時期にあたりますので、アには「屋島」が入ります。

次に、空欄イの前に「1159年の」、後ろに「平清盛」が見えますね。ということは、イには「平治」が入ります。
したがって、正解は④になります。
1156年の保元の乱と1159年の平治の乱は、年代まで暗記しておかないと思わぬミスにつながります。しっかり比較して覚えておきましょう。

補足知識:平治の乱と保元の乱

  • 保元の乱(1156年)平治の乱(1159年)は、平安末期の内乱であり、源氏・平氏の台頭を特徴づける出来事です。
  • 特に年代の暗記が重要で、これらを混同すると思わぬミスにつながります。
  • 保元の乱は崇徳上皇と後白河天皇の対立が背景にありましたが、平治の乱は平清盛と源義朝の争いが中心でした。

問4:日本史で登場する荘園についての問題

解説

日本史で登場する具体的な荘園についての問題です。
空欄ウの前に「紀伊国」とあります。紀伊国は現在の和歌山県に該当しますが、日本史上有名な荘園といえば、「桛田荘(かせだのしょう)」です。

また、空欄エの後ろには「非法を荘民から訴えられた」との記述が見えますので、「阿氐河荘(あてがわのしょう)」が該当します。
したがって、正解は③となります。

さあ、日本史で登場する三つの荘園を、ここで知識にしておきましょう。

補足知識:日本史で登場する三つの荘園

  1. 鹿子木荘(かのこぎのしょう・肥後国)
    • 現在の熊本県にあった荘園で、平安時代の寄進地系荘園の代表例です。
  2. 桛田荘(かせだのしょう・紀伊国)
    • 現在の和歌山県にあり、鎌倉時代に行われた「下地中分」の図として有名です。
  3. 阿氐河荘(あてがわのしょう・紀伊国)
    • 湯浅氏の支配下で、荘民が「労働者を徴発された上、逃亡した農民の土地にも麦をまけと強制された」と訴えたことで知られています。

問5:「1185年」と同じ年の出来事を選ぶ問題

解説

「1185年」と同じ年のできごとを選ぶ問題です。この年は鎌倉時代の始まりであり、武士の政権が確立する重要な年代です。
正解は③ですが、なかなか難しい問題ですよね。選択肢の他の年代と比較しながら整理してみましょう。

選択肢の解説

  1. 源義仲の敗死
    • これは1180年の出来事であり、時期が異なります。
  2. 寿永二年十月宣旨
    • これは1183年の出来事で、頼朝が東国支配を公認された内容です。
  3. 壇ノ浦の戦い(正解)
    • これは1185年の出来事で、源義経・範頼が平氏を討ち滅ぼした戦いです。
  4. 公文所・問注所の設置
    • これは1184年の出来事で、鎌倉幕府の基礎を固めるために設置された行政機関です。

すべての年代を暗記するのはなかなか難しいですよね。

問6:平清盛が生きている間のできごとではないものを選ぶ問題

解説

平清盛が生きていた時期に起こっていない出来事を選ぶ問題です。これもなかなか細かい問題ですので、迷った受験生は多かったと思います。正解は①の倶利伽羅峠の戦いです。

倶利伽羅峠の戦い(1183年)は、1180年に挙兵した源義仲が現在の石川県と富山県の県境にあたる倶利伽羅峠で平氏軍を破り、京都に入るきっかけとなった戦いです。
一方、平清盛は1181年
に死去しているため、この戦いは彼の死後に起こっています。

補足知識:平清盛の死去前後のできごと

以下に、平清盛の死去を挟んだ主な出来事を整理します。

平清盛の生前

  • 源頼政・以仁王の挙兵(1180年)
  • 源頼朝の挙兵(1180年)
    • 石橋山の戦いで敗北後、鎌倉に入り、富士川の戦いで勝利。鎌倉幕府設立の準備を進めました。

平清盛の死去(1181年)

  • この年を境に、平氏の勢力は次第に衰えていきます。

平清盛の死後

  • 源義仲の挙兵
    • 倶利伽羅峠の戦いで平氏軍を破る(1183年)。
  • 源範頼・源義経の進撃
    • 平氏を追撃し、壇ノ浦の戦いで討ち滅ぼしました(1185年)。

問7:鎌倉幕府の武士の所領支配についての正誤判定問題

解説

鎌倉幕府の武士の所領支配についての正誤判定問題です。
この問題では、正しい選択肢を選びますが、他の選択肢の誤りを検証することが重要です。
正解は④です。

選択肢の検証

  1. 「御料所」という部分が間違い
    • 御料所(ごりょうしょ)」とは天皇家や幕府の直轄地を指しますが、武士の直営地ではありません。武士の直営地は「佃(つくだ)」「門田(かどた)」「正作(しょうさく)」などと呼ばれていました。
  2. 「預所」という部分が間違い
    • 「預所(あずかりどころ)」は寄進地系荘園における荘官のうち、上級の者を指します。武士の所領支配の用語ではありません。
  3. 「領家」という部分が間違い
    • 「領家」とは寄進地系荘園で、開発領主から土地を寄進された貴族や寺院・神社のことを指します。これも武士の土地制度には該当しません。
  4. 正解(正しい内容)
    • 選択肢④が正しい内容です。

補足知識:土地制度の用語解説

鎌倉時代や平安時代の土地制度について、それぞれの用語の意味を押さえておくことが重要です。

≪平安時代の寄進地系荘園の構造≫

  • 開発領主 → 開発を行い、土地を寄進する者。
  • 領家 → 寄進を受けた貴族・寺院・神社など。
  • 本家 → 領家からさらに寄進を受けた上位の貴族や藤原氏など。

問8:1378年のできごととして正しいものを選ぶ問題

解説

1378年のできごととして正しいものを選ぶ問題です。この問題はなかなかの難問ですが、ある程度選択肢を絞り込むことで正解に近づけます。

まず、室町幕府の成立は1338年ですね。次に区切りとなる年代は南北朝の合一が行われた1392年です。ということは、1378年は少なくとも足利義満の時代だろうなと想像できます。この視点でいけば③の上杉禅秀の乱は4代将軍の足利義持の時代、➃の足利直義の敗死は観応の擾乱にあたりますので、③と➃の選択肢は外れます。残った①か②ですが、これは難しいですね。正解は②の花の御所の造営です。ちなみに①土岐康行の乱は1390年のできごとです。もちろん、間違えたとしても合否には影響しません

選択肢の検証

  1. 「土岐康行の乱」
    • これは1390年に起きた出来事で、1378年ではありません。
  2. 「花の御所の造営」
    • 足利義満が室町幕府の政治拠点として造営した邸宅で、1378年に完成しました。これが正解です。
  3. 「上杉禅秀の乱」
    • これは4代将軍足利義持の時代で、1416年に起きた乱です。1378年ではありません。
  4. 「足利直義の敗死」
    • これは観応の擾乱に関連する出来事で、1352年のことです。

補足知識:年代で押さえる室町時代の区切り

  • 1338年…室町幕府の成立。初代将軍足利尊氏が政権を確立。
  • 1378年…足利義満が「花の御所」を造営し、政治の中心とする。
  • 1392年…南北朝の合一。

問9:南朝の天皇を選ぶ問題

解説

この問題は難問ですが、南北朝時代の天皇についての知識を問う内容です。
正解は②の長慶天皇です。

➃の後嵯峨天皇は、彼の死後に持明院統と大覚寺統に分裂して南北朝時代につながります。ここで、入試頻出の天皇に限定しますが、南北朝時代の天皇を整頓しておきましょう。

選択肢の検証

  1. 後醍醐天皇
    • 南朝の初代天皇ですが、選択肢には含まれていません。
  2. 長慶天皇(正解)
    • 南朝の天皇の一人です。南北朝時代における南朝の天皇を覚えておくことが重要です。
  3. 光厳天皇
    • 北朝の天皇ですので誤りです。
  4. 後嵯峨天皇
    • 南北朝時代以前の天皇であり、彼の死後に持明院統と大覚寺統が分裂し、南北朝時代につながります。

補足知識:南北朝時代の天皇

以下は、入試で頻出の南北朝時代の天皇を整理したものです。

北朝の天皇

  • 光厳天皇
  • 光明天皇
  • 後小松天皇

南朝の天皇

  • 後醍醐天皇
  • 後亀山天皇
    • 後亀山天皇が三種の神器を後小松天皇に渡すことで、南北朝の合一が実現しました(1392年)。

問10:大内義弘の敗死後のできごとについての問題

解説

大内義弘の敗死後のできごととして正しいものを選ぶ問題です。正解は①ですが、大内義弘は1399年の「応永の乱」で足利義満に討伐されたと問2で学びました。それも踏まえて選択肢をチェックしてみましょう。

選択肢の検証

  1. 応永の乱後の出来事(正解)
    • 1399年以降に起きた内容であり、正解です。
  2. 天竜寺の建立
    • 1342年に足利尊氏が天竜寺船を派遣し、その資金で建立されたもので、足利義満以前の出来事です。
  3. 足利義満の太政大臣任官
    • 1394年の出来事であり、細かいですが大内義弘の敗死以前のことです。
  4. 足利義持の将軍就任
    • 同じく1394年の出来事であり、これも誤りです。

年代を知っていないとさずがに難しい問題ですね。

【日本史学習のワンポイントアップ⑥】

日本史の時代区分を素早く言えますか?

時代区分を正確に順番で覚えることは、日本史を効率的に学ぶための基礎です。また、逆順でも言えるように練習してみましょう

時代区分の順番
旧石器 → 縄文 → 弥生 → 古墳 → 飛鳥 → 奈良 → 平安 → 鎌倉 → 南北朝 → 室町 → 戦国 → 安土桃山 → 江戸 → 明治 → 大正 → 昭和 → 平成 → 令和


おわりに

今回はいかがだったでしょうか?
なかなか難しい問題が揃っていたと思いますが、それだけ新しい知識も登場していますので、どんどんインプットしていきましょうね。

次回もまた解説を続けていきますので、どうぞお楽しみに!

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