皆さん、こんにちは。
創心館の藤井です。
今回は、2025年度・立命館大学の日本史の入試問題〔Ⅰ〕・〔Ⅱ〕の解説を、特別速報版でお届けします!
対象学部は、
○文学部
○法学部
○映像学部
○食マネジメント学部
○総合心理学部
○政策科学部
○国際関係学部(国際関係学専攻)
○経済学部
○経営学部
○産業社会学部
○スポーツ健康科学部
となっております。
では、さっそく解説に入りましょう!
〔Ⅰ〕大和政権の成立について


【空欄補充問題の解説】
A
正解は、高句麗です。
空欄の後に「朝鮮半島北部」「半島を南下して百済北部を従属させ」とあるのがヒントになります。
B
正解は、楽浪です。
空欄の前に「漢代以来の中国王朝が支配した」、空欄の後に「帯方郡を滅ぼし」とあります。楽浪郡は『漢書地理志』にも登場する、前漢の武帝が現在のピョンヤン付近に設置した役所で、日本からも朝貢に来たことが記されています。帯方郡は公孫氏が楽浪郡の一部を割いて、現在のソウル付近に設置したものです。
C
正解は、加羅(伽耶・任那・加耶)です。
空欄の前に「倭国は鉄資源を朝鮮半島南部の」とあります。高句麗・百済・新羅はすでに本文中に登場しているので、朝鮮半島南部の加羅と分かります。
D
正解は、前方後円墳です。
空欄の前に「くびれ部を有する墳丘の長さが200mをこえる」とありますので、鍵穴型の前方後円墳があてはまります。
E
正解は、史部です。
空欄の前に「漢字を用いて記録できる渡来人」、空欄の後に「王権の書記官を務める」「外交文書や宮廷の記録を作成」とあります。読み方にも注意が必要ですね。
F
正解は、姓です。
空欄の前に「政権内での地位を示す臣・連など」とあります。これらは氏に対して姓と呼ばれています。
G
正解は、部曲です。
空欄の前に「豪族には私有民である」とあります。私有地である田荘とともに書き取りの問題では最もよく出題される用語の一つです。読み方にも注意が必要です。
H
正解は、伴造です。
空欄の前に「王権全体に関わる地域を越えた職務を担う特定の職掌集団」とありますが、これを品部といいます。空欄Eの史部も品部の一つです。その「統率者」が伴造です。「品部のリーダーは伴造」とセットで覚えておきましょう。
I
正解は、屯倉です。
空欄の前に「大和政権は外交権を強化し、九州北部に支配の拠点となる直轄的な支配地」とあります。大和政権の直轄地は屯倉と呼ばれ、その直轄民は名代・子代と呼ばれました。
【設問の解説】
(a)
正解は、うです。
あの土師器は弥生土器の系統をひく土器で、古墳時代に多く使用されました。いの仮名文字は平安時代の国風文化で登場した文字、えの木綿は室町時代の日朝貿易における最大の輸入品でした。
儒教は、継体天皇の頃に五経博士によって伝来しました。
(b)
正解は、雄略(天皇)です。
中国の史書である『宋書倭国伝』(編者は沈約)には、倭の五王について「讃・珍・済・興・武」と記されており、『日本書紀』では、武は雄略天皇に比定されていることは、基本的な知識です。
讃と珍については諸説ありますが、済は允恭天皇、興は安康天皇に比定されています。
(c)
正解は、安東(大将軍)です。
倭の五王は、朝鮮半島南部での政治的立場を有利にするために、中国の南朝に使いを送っていました。倭王の武が478年に送った上表文に対し、「安東大将軍・倭王」の称号を授かっています。
(d)
正解は、あです。
いの紀、うの葛城、えの平群はいずれも地名が由来の豪族です。あの大伴は特定の職能で仕える有力豪族の一つで、物部氏とともに軍事を担当していました。
(e)
正解は、うです。
名代・子代とは、大和政権における皇室の直轄民ですが、名代の部名は、大和政権の大王が宮を営んだ場所の名にちなんで命名されています。うの中臣部は、姓を由来とした豪族の一つですので、うが名代・子代ではないということになります。
なかなか判断に迷った受験生も多かったのではないでしょうか。
(f)
正解は、岩戸山古墳です。
筑紫国造磐井の「磐」と「岩」が音が同じですね。岩戸山古墳の墳丘上には、石人・石馬が並べられており、埴輪が発展したものと考えられています。
さて、大問丸ごと大和政権の基本的な内容が問われていますが、用語の読み方や意味など、慎重に理解しないといけませんね。
では、しっかりと以下にまとめておきましょう。
大和政権の基本をしっかり押さえよう!
(1)氏姓制度
1)氏…豪族の血縁的集団
氏上(氏の首長)・氏人(氏上以外)
※氏の経済的基盤…田荘(私有地)・部曲(私有民)・奴(奴隷)
2)姓…身分・地位を示す称号(氏ごとに授与された)
臣…大和の有力豪族(葛城・平群・蘇我)・伝統地方豪族(吉備・出雲)
連…特定の職能で仕える有力豪族(大伴・物部・中臣)
君…地方の有力豪族(筑紫・毛野)
他に直・造・首など
(2)支配機構
1)中央
○大臣・大連…臣・連の最有力者が就任
○伴造…伴(補佐)・品部(技能集団)を率いる
2)地方
○国造・県主…地方豪族に支配を委任
○屯倉(朝廷の直轄地・田部が耕作)/名代・子代(朝廷の直轄民)を設置
○舎人や采女の出仕・特産物の貢進・軍事行動への参加
(3)6世紀の内外情勢
1)朝鮮半島…大和政権の勢力が衰退
○高句麗の南下→百済・新羅が加羅諸国を併合する
○筑紫国造磐井の乱(527~28年)…新羅と同盟し、近江・毛野の新羅追討軍を妨害
→物部麁鹿火が鎮圧・屯倉を設置し地方支配を強化・岩戸山古墳(磐井の墓)
○大伴金村(大連)の失脚(540年)←加羅四県を百済に割譲した(512年)
2)中国…隋(北朝)が南北朝を統一(589年)→高句麗に遠征
3)豪族の対立…蘇我氏(財政・崇仏派) VS 物部氏(軍事・廃仏派)
※蘇我氏は三蔵(斎蔵・内蔵・大蔵)を管理していた
〔Ⅱ〕日本史の中での「家」について





【空欄補充問題の解説】
A
正解は、後白河です。
空欄の前に「皇太后平滋子が夫である」とありますが、これだけでは後白河上皇を判断することができません。
これ以外の手がかりとしては、本文中の「1168年」しかありません。1168年に最も近い有名な歴史上のできごととしては、1156年の保元の乱や1159年の平治の乱があります。時期的には平治の乱より後のことと分かりますので、後白河上皇の時期であると判断することができます。
B・C
正解は、Bが承久の乱、Cが北条政子です。
「官位と云ひ、俸禄と云ひ、其の恩既に山岳よりも高く、溟渤よりも深し」という有名なフレーズから、承久の乱に際して御家人を鼓舞した、北条政子の演説であると分かります。これは基本的な問題ですので、落とせないですね。
D
正解は、今川仮名目録です。
空欄の前に「かな書きの分国法」「今川氏親」というのがありますので、今川仮名目録が正解です。これも有名な分国法ですので、ぜひ正解したいところです。
E
正解は、乳母です。
空欄の前に「実母に代わって家族ぐるみで子の養育にあたる」とあります。一発で思い出すのは難しい用語ですね。
F
正解は、明月記です。
藤原定家といえば、後鳥羽上皇の命で編纂した『新古今和歌集』が有名ですが、日記となると非常に難しいですね。知っている受験生は少ないと思いますので、合否には影響しないでしょう。
【設問の解説】
(a)
正解は、えです。
『新猿楽記』がどんな内容のものかを知らなくても、消去法で解けます。
あは「建武の新政を鋭く風刺」とありますので二条河原の落書、いは「今様を集成」とありますので後白河上皇の『梁塵秘抄』、うは世阿弥の『風姿花伝(花伝書)』です。
(b)
正解は、あです。
いは「吏捍(=家を治めること)」「興販(=売り買いすること)」とありますから正しいですね。うは「従者・眷属、皆此の女房の徳に依れり」とありますので、妻が従者や眷属などを統轄していたことが分かります。えは「夏冬の装束、時にしたがふ」とありますので、これも正しいですね。
あはそもそも史料中に記述されていませんので、やはり誤りとなります。
(c)
正解は、うです。
あは、会議が行われたのが「内裏」ではなく「院殿上」とあり、上皇の居所である院であったので誤りです。いは難しいですね。「啓せしむ」の意味が「報告させる」という意味ですので、「政務を見させた」という部分が誤りです。えも「啓せしむ」の意味を考えれば、「連れていく」という部分が誤りになります。
(d)
正解は、いの源頼朝です。
「故右大将軍」とは誰をさすか、という問題は落とせないですね。2025年度の関西大学でも出題されていました。
(e)
正解は、あです。
院分国は、院や女院が所有する荘園のことではなく、院自身が収益を得る国のことをいいます。
院政期の財政では、まぎらわしい用語がたくさん出てきますので、以下に区別して覚えておきましょう。
院政期の財政に関わる用語を区別して押さえよう!
①荘園
八条院領(鳥羽法皇・100か所)→のち大覚寺統(南朝)へ継承
長講堂領(後白河法皇・90か所)→のち持明院統(北朝)へ継承
②知行国…上級貴族が知行国主として支配権や収益を得た国
※知行国主…上級貴族の子弟や近親を国守に任命するが、現地には目代を派遣した
③院分国…院自身が収益を得る国(白河上皇の時期には24国あった)
(f)
正解は、いです。
これは消去法で解けますね。あは西行の説明で、『山家集』を著しました。うは『太平記』の作者は現在のところ不明です。えは公文所の初代別当とあるので大江広元の説明です。
(g)
正解は、えです。
「昇殿」というのをそのまま読むと、「殿に昇る」となります。したがって、この意味に最も近いのはえとなります。日本史の問題としては「?」がつくような問題だと、個人的に思いますね。
(h)
正解は、あです。
これも古文のような問題ですね。日本史の問題としては「?」と思わざるを得ません。
(i)
正解は、えです。
「さぶらひ」というのは「侍」と漢字で書きますね。ただし、侍の定義を知らなくても、選択肢が何の用語の説明なのかが分かれば、消去法で解けます。
あは平安時代初期に設置された令外官である検非違使の説明、いは家子・郎党の説明、うは田堵の説明ですので、えが正解となります。
おわりに
今回は、大問〔Ⅰ〕と〔Ⅱ〕の解説を行いましたが、いかがだったでしょうか?
一部、「これは本当に日本史の問題なのか?」というような問題もありましたが、これの可否についての議論はしないことにします。大学側の意図もあると思いますのでね。
細かい用語にとらわれず、取れる問題を確実に取っていく。
そのためには、正しい暗記と正しい理解が絶対に必要です。
立命館大学のレベルであれば、当然教科書の記述を越えた用語も問われますが、確実に得点できるものを落とさない勉強が大事ですね。
この解説を通して、何を覚えておけばよいのかが少しでも納得していただければ幸いです。
次回は、大問〔Ⅲ〕の解説を行います!
どうぞ、お楽しみに!
本日も、創心館のブログにおいでいただき、ありがとうございました。
文責:藤井 宏昌