皆さん、こんにちは。
創心館社会科担当の藤井です。
今回は、2025年度・関西大学日本史の大問〔Ⅲ〕〔Ⅳ〕についての解説を、特別速報版でお届けします!
では、さっそく解説に入りましょう!
〔Ⅲ〕史料問題




史料(A)のアウトライン
○出典は、(『魏書』東夷伝倭人条)とあり、一般に『魏志倭人伝』と呼ばれるものである。
○「女王」という語が見られるので、卑弥呼のことと判断できる。
○邪馬台国の様子を示す、超一級史料である。
問1
正解は、(ア)伊都国です。
「一大率」とは、女王卑弥呼によって派遣された派遣官のこととされ、北部九州地域の監察を行っていたとされています。
問2
正解は、(ウ)洛陽です。
「京都」とは「首都」と考えられ、当時の魏の首都は洛陽でした。世界史の知識も必要になりますね。
(ア)の建業は中国六朝時代(呉・東晋・宋・斉・梁・陳)の都、(イ)の長安は前漢・北周・唐などの首都として有名ですね。多くの受験生は(イ)の長安と迷ったのではないでしょうか。
問3
正解は、(イ)下戸・大人です。
最後の2行では、「( ③ )が、( ➃ )と道路で互いに逢うと、ためらって草に入り、辞を伝え、事を説く場合には、あるいはうずくまり、あるいはひざまづき、両手は地につけ、恭敬の態度を示す」という意味になります。邪馬台国では、「王ー大人ー下戸ー生口」という身分制度があったことを示しています。
問4
正解は、(ア)です。
(イ)は、「租税制度はまだなかった」の部分が誤りです。史料中に「租賦を収むに邸閣あり」とあり、租税を納めるための建物があったことが分かります。
(ウ)は、「身分によっても刑罰が定められていた」の部分が誤りです。史料中では罪の軽重による刑罰は記されていますが、身分による刑罰の差については書かれていません。
問5
正解は、(ウ)晋(西晋)です。
『三国志』を編纂したのが陳寿であることは、関西大学を目指すのであれば必須の知識ですが、どの国の人物かであることを知っている受験生は少ないと思います。なかなか難しい問題ですね。
では、『魏志倭人伝』をはじめとする邪馬台国についてのポイントを、以下にまとめておきましょう。
『魏志倭人伝』と邪馬台国のポイントを押さえよう!
★『魏志倭人伝』(晋の陳寿)
1)統治
①邪馬台国連合の成立(2世紀末)…女王卑弥呼を共立する30国で構成
②「鬼道」(呪術)による支配・男弟が補佐
③一大率(検察官で伊都国に設置)・大倭(市の監督)
➃大人・下戸の身分制度
⑤租税・刑罰の制度
2)外交
卑弥呼が魏に使いを送る(239年)…大夫難升米
→「親魏倭王」の称号・金印と銅鏡100枚を受領(三角縁神獣鏡?)
→卑弥呼の死(3世紀半ば)
→男王継承による争乱
→壹与の擁立…晋に使いを送る(266年)
※卑弥呼の遣使や壹与の遣使の背景には、狗奴国との抗争があった
3)邪馬台国論争
①近畿説…近畿から九州北部の広域連合
大和政権は邪馬台国連合の発展したもの → 大和政権の成立は3世紀初め
※纏向遺跡(奈良)…箸墓古墳
②九州説…九州北部の地域連合
大和政権は東方の別政権 оr 邪馬台国の東遷 → 大和政権の成立は4世紀初め
史料(B)のアウトライン
○「給ひて三世に伝へしめん。…其の一身に給せん」とあるので、「三世一身法」である。
○「養老七年」は723年であることが示されている。
問6
正解は、(イ)長屋王です。
まず、三世一身法が723年に出されていることが、史料中に示されています。奈良時代の720年代は、元正天皇・聖武天皇のころで、長屋王が権力を握っていたことを押さえておけば、正解できますね。
ここで、奈良時代の権力の推移について簡単にまとめておきましょう。
奈良時代の権力の推移は「ジグザグセブン」!
★藤原氏と皇族・僧侶が交代で権力を握る不安定な時代であった
藤原不比等(元明天皇・710年代) →長屋王(元正天皇・聖武天皇・720年代)
→藤原四子(聖武天皇・730年代) →橘諸兄(聖武天皇・740年代)
→藤原仲麻呂(孝謙天皇・淳仁天皇・750年代)→道鏡(称徳天皇・760年代)
→藤原百川(光仁天皇・770年代)
問7
正解は、(イ)山上憶良です。
設問文に「貧窮問答歌」とありますので、これは落とせない問題ですね。
(ア)の柿本人麻呂は飛鳥時代の歌人で、山部赤人とともに「歌聖」とも呼ばれました。(ウ)の大伴旅人は、飛鳥時代から奈良時代にかけての歌人で、子の大伴家持は『万葉集』を編纂した人物として有名ですね。
問8
正解は、(ア)2段です。
なお、口分田の班給については、以下のように規定されています。
口分田の班給は、男女間と身分間で覚えよう!
良民男子(2段) ー(3分の2をかける)→ 良民女子(4/3段)
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(3分の1をかける) (3分の1をかける)
↓ ↓
賤民男子(2/3段) ー(3分の2をかける)→ 賤民女子(4/9段)
問9
正解は、(ウ)です。
(ア)の「墾田の永久私有」、(イ)「私有地拡大」はともに743年の墾田永年私財法の説明です。
三世一身法は、三世代か一世代かによらず、期限付きの私有を認めたものですので、(ウ)の選択肢にあるように、農民の耕作意欲の減退や墾田の荒廃につながっていったわけです。
問10
正解は、(イ)『続日本紀』です。
いずれも六国史に含まれる歴史書ですが、奈良時代を最もよく伝える歴史書が『続日本紀』であることは必ず覚えておきましょう。
史料(C)のアウトライン
○出典に『往生要集』とあるので、著者は源信、時代は平安時代中期と判断できる
問11
正解は、(ア)六波羅蜜寺です。
設問文にある「10世紀半ばに京の市で説いた人物」とは、空也のことです。
空也といえば、六波羅蜜寺の空也像を思い出してほしいところですね。この空也像の作者は慶派仏師の一人である康勝です。
問12
正解は、(ア)の真言宗です。
真言宗は空海が高野山に金剛峯寺を開き、山中での修行を重視したことから、最澄の天台宗と合わせて「密教」と呼ばれました。それに対して、奈良時代に開かれた南都六宗は、仏教教理の研究グループとしての性格が強いので、「顕教」と呼ばれました。
南都六宗については、以下のように覚えておきましょう。
南都六宗はこうやって覚えよう!
ほう、 じょう、 さん、 リッツ、 くう、 け?
法相宗 成実宗 三論宗 律宗 俱舎宗 華厳宗
○奈良時代の僧侶は、律宗の鑑真を除いてほとんどが法相宗の僧侶であった
○東大寺は華厳宗の寺院である
問13
正解は、(ウ)穢土・浄土です。
少し難しいと思いますが、史料中に「厭離( ⑦ )」「欣求( ⑧ )」とあります。
「厭離」とは「離れる」という意味で、汚く濁った世の中(=穢土)を離れると解釈できます。「欣求」とは「求める」という意味で、穢れのない清らかな世の中(=浄土)を求めるとそれぞれ解釈できます。仏語は難しそうに思えますが、意味は比較的とりやすいと思います。
問14
正解は、(ウ)1052年です。
末法思想における末法初年とされ、和年号では「永承7年」にあたります。この翌年の1053年に、平等院鳳凰堂が建てられています。
ここで、末法思想とは何なのか、浄土信仰とはどんなものかを、以下にまとめておきましょう。
浄土教の流行は末法思想の理解から!
★浄土教の流行…阿弥陀如来への信仰(念仏「南無阿弥陀仏」)
①末法思想を背景…正法(釈迦の入滅後1000年)・像法(次の1000年)
→末法(次の1万年・永承七年〔1052年〕から始まる)
②往生伝…『日本往生極楽記』(慶滋保胤)
③空也(10世紀半ば)…「市聖」と呼ばれ、民間に布教
➃源信(10世紀後半)…「恵心僧都」(延暦寺)と呼ばれ、『往生要集』(985年)を著す
⑤阿弥陀堂建築…平等院鳳凰堂(藤原頼通・1053年)・法界寺阿弥陀堂(日野)
⑥阿弥陀如来像の制作…平等院鳳凰堂の阿弥陀如来像(定朝の作・寄木造)
※寄木造…パーツを組み合わせて造る技法。仏像の大量需要に応えた。
⑦来迎図…高野山聖衆来迎図・平等院鳳凰堂の扉絵
※来迎図…死を迎える際、阿弥陀仏などの多くの仏が迎えに来る様子を描いたもの
問15
正解は、(イ)金峯(峰)山です。
これは超難問ですね。この山は奈良県の吉野にある山で、桜の名所としても知られています。(ア)の船岡山は京都市北区にある小高い山で、織田信長を祀った建勲神社があります。
これは間違えても合否には影響しませんので、安心して下さい。
〔Ⅳ〕日本と世界の歴史


(1)
正解は、ネ(レーニン)です。
空欄の前に「ボリシェビキ」とありますが、これが分からなくても、空欄の後には「世界初の社会主義政権を打ち立てた」とありますので、ロシア革命を指導し、ソ連の建国に関わったレーニンがあてはまります。
(2)
正解は、ス(加藤友三郎)です。
シベリアからの撤兵を完了させた内閣は難問ですね。これは間違えても合否に影響はありません。
(3)
正解は、ナ(甲午農民戦争)です。
空欄の後に「朝鮮政府は清に出兵を要請、日本も大軍を派遣した」とあり、「日清戦争にいたる」とあります。時系列から考えても、甲午農民戦争が正解と分かります。
ここで、日清戦争に至る過程を確認しておきましょう。
日清戦争に至る過程は朝鮮問題がポイント!
(1)壬午事変(壬午軍乱・1882年)
大院君(国王の父)一派の反乱を清が鎮圧(閔妃〔国王の高宗の妃〕と対立)
→日朝間で済物浦条約(1882年)・閔妃が清に接近…事大党(清に接近)VS独立党(日本に接近)
(2)甲申事変(1884年)
独立党のクーデタを清が鎮圧(清仏戦争での清の敗北をチャンスとみる)
→日朝間で漢城条約(1885年)・親日派を一掃
(3)天津条約(1885年・伊藤博文と李鴻章)
日清両軍は撤兵・今後の出兵は予告
(4)甲午農民戦争(東学党の乱・1894年)…日清両国が出兵
→日清戦争の開始
(4)
正解は、ヌ(統監)です。
日清戦争後の第二次日韓協約で統監府が設置され、伊藤博文が初代統監に就任しました。1910年に韓国が併合されて朝鮮総督府が設置される前に伊藤博文は暗殺されていますので、この時点での伊藤の肩書は「統監」ということになります。
ここで、韓国併合への過程をどのように押さえておけばよいかを、以下にまとめておきましょう。
韓国併合への過程は以下の要領で押さえよう!
①第一次日韓協約…顧問の設置
↓ ←桂・タフト協定(アメリカにフィリピン支配を認めさせる)
②第二次日韓協約…外交権の獲得・統監府の設置(初代統監に伊藤博文)
↓ ←ハーグ密使事件(万国平和会議に密使を派遣)
③第三次日韓協約…内政権の獲得
↓ ←伊藤博文暗殺
➃韓国併合条約…朝鮮総督府の設置(初代総督に寺内正毅)
(5)
正解は、ツ(毛沢東)です。
戦後まもなく、日中戦争をともに戦った国民政府と共産党との争いが再び起こり、蔣介石の国民政府は台湾へ逃れて中華民国を建国し、毛沢東の共産党が本土で中華人民共和国を建国しました。ここに「2つの中国」が誕生しました。
(6)
正解は、キ(警察予備隊)です。
1950年に朝鮮戦争が勃発すると、韓国支援のためにアメリカ軍が動員され、それにともなって1950年、ポツダム政令によって警察予備隊が設置されました。警察予備隊は1952年に保安隊となって保安庁が設置され、1954年にはMSA協定(日米相互防衛援助協定)にともなって自衛隊に改組され、防衛庁が設置されました。
ここで、朝鮮戦争とその影響について、以下にまとめておきましょう。
朝鮮戦争とその影響について押さえておこう!
北朝鮮+中国人民義勇軍 VS 韓国+国連軍(アメリカ)
→朝鮮休戦協定(1953年・板門店で)…北緯38度線を軍事境界線とする
→逆コースへ方針転換
○警察予備隊を新設(1950年・ポツダム政令に基づく)
○レッド=パージ(1950年・共産党員の一斉解雇)
○戦犯の釈放・公職追放の解除(1950年)
※影響…朝鮮特需による経済復興
(7)
正解は、サ(柳条湖)です。
空欄の後に、「関東軍は満洲の主だった地域を占領し」とあります。ということは満洲事変に関する内容ですので、そのきっかけとなった柳条湖事件が解答となります。基本的な問題ですので、落とせないですね。
(8)
正解は、ニ(溥儀)です。
溥儀は、清朝最後の皇帝(宣統帝)であり、満洲国建国とともに執政となり、のちに満洲国皇帝となった人物です。
ここで、満洲事変についての流れをチェックしておきましょう。
満洲事変の流れをチェックしておこう!
柳条湖事件(1931年)…関東軍の陰謀で満鉄線を爆破(奉天郊外)
※「満蒙の危機」を提唱(石原莞爾の『世界最終戦論』)
→満洲全域に戦火拡大…政府の不拡大方針を関東軍は無視し、世論もこれを支持
→満洲国建国宣言(1932年)…溥儀(清の宣統帝)を執政とするが、政府は承認せず
※満州国…首都新京(現在の長春)・「王道楽土」「五族協和」をスローガンとする
※中国の提訴を受け、国際連盟はリットン調査団を派遣
→日満議定書(1932年)…政府が満洲国を承認
※リットン報告書により、国際連盟は日本の行動を否認(全権は松岡洋右)
→国際連盟脱退を通告(1933年・内田康哉外相)
→塘沽停戦協定(1933年)…国民政府が日本の満洲支配を黙認
→満洲国で帝政を実施(1934年)…溥儀を皇帝とする
※華北分離工作を企画し始める
(9)
正解は、ヒ(モリソン号)です。
本文中に「異国船打払令」「アメリカ商船」とあります。アメリカ商船のモリソン号は、異国船打払令によって砲撃されています。
(10)
正解は、コ(南京)です。
1840年から1842年にかけて、イギリスと清の間でアヘン戦争が起こり、清が敗北して南京条約が結ばれました。イギリスの力を脅威と見た江戸幕府は、異国船打払令を緩和し、天保の薪水給与令を発布しました。南京条約は世界史の範囲ではありますが、日本史とも大きな関わりがあるので、必ず覚えておきましょう。
では、江戸時代後期の外国船の接近に対する日本の対応を、以下にまとめておきましょう。
江戸時代後期の外国船の接近に日本はどう対応した?
①文化の撫恤令(1806年)やさしく!
フェートン号事件(1808年・イギリス)…長崎に乱入・松平康英(長崎奉行)が自殺
②異国船打払令(1825年)きびしく!
モリソン号事件(1837年・アメリカ)…アメリカ船を浦賀(神奈川)・山川(鹿児島)沖で撃退
アヘン戦争(1840~42年・イギリスVS清)…清が敗北し、南京条約を結ぶ
③天保の薪水給与令(1842年)やさしく!
≪年表との対応問題≫
(A)レーニンによるソ連の成立、シベリア出兵から大正時代になりますので、(う)が正解です。
(B)日清戦争、韓国の植民地化から明治時代の後期になりますので、(い)が正解です。
(C)朝鮮戦争の開始から戦後になりますので、(お)が正解です。
(D)満洲国の建国や日中戦争の開始から、(え)が正解です。
(E)異国船打払令やアヘン戦争から、(あ)が正解です。
おわりに
2回にわたって、2025年度・関西大学の日本史の問題解説を特別速報版でお送りしましたが、いかがだったでしょうか。
関西大学に限って言えば、空欄の穴埋め問題をベースとし、正誤判定は史料問題での数問にとどまる形式はほぼ変わっていませんし、出題される内容も過去問をベースにしていると言えます。
しかし、大切なことは「傾向を知るだけではいけない」ということです。
「語句ぐらいしか出されないから、語句だけ覚えておけば何とかなる」という考えは、どの大学を受けるにしても、いっさい捨てなければいけません。
関西大学では空欄の穴埋めが多いとはいえ、前後の部分をしっかり読まないと思わぬミスにつながり、基本的な用語も落としてしまうことになります。
2026年度の受験生は、そうしたことも意識し、正しく覚えて正しく理解して日本史の勉強に励んで下さい。
本日も、創心館のブログにおいでいただき、ありがとうございました。
特別速報版はまだまだ続きますので、お楽しみに!
文責:藤井 宏昌