皆さん、こんにちは!
創心館の藤井と申します。
大学入試問題日本史の全問解説ブログ、今回で9回目です。
どうぞよろしくお願いします。
さて、今回より【2020年度・早稲田大学(法)】の日本史を扱います。
関西大学、近畿大学と解説してきましたが、首都圏の私立大学にもスポットをあてていきます!
早稲田大学と聞くと、「うわ、難しいやんか」と思うかも知れませんが、「落としてはいけないものを確実に合わせていく」姿勢で問題に取り組んでくださいね。
そして、問題を通して、さまざまな知識を身につけていきましょう!
それでは、さっそくまいりましょう!
まずは問題にチャレンジしてみよう!
いつものように、まずは何も見ないで、自分の力で問題にチャレンジしてみましょう!
そして、じっくりと解説を読んでいって下さいね!
1 源義家についての問題
空欄の前に「奥州での後三年合戦の結果」空欄の後に「源氏の大武士団が形成された」とありますね。
これは基本的な問題ですので、ぜひ正解を狙いましょう。
正解は「源義家」ですね。
奥州、つまり現在の東北地方での戦いを通して、源氏が東国に進出するきっかけとなったのが、後三年合戦でしたね。東北地方での戦いは12年にわたりましたが、ここで東国で源氏が勢力を築くまでの過程をまとめておくことにしましょう。
一問同心のココを押さえろ!!
東国で源氏が勢力を築くまでの過程は二人の親子に注目!
①源頼義
●前九年合戦(1051~1062年)…陸奥国で、子の源義家とともに安倍氏(安倍頼時・貞任)の反乱を鎮圧した
→このときに源氏に加勢したのが清原氏だった
②源頼家
●後三年合戦(1083~1087年)…出羽国で、清原氏の内紛を平定し、昇殿を許された
→これをきっかけに、東国武士団との主従関係が強化された
2・3・4 後三条天皇についての問題
さあ、ここから3問連続で一人の人物に関する問題が並んでいます。
まず、2については、空欄の前に「時の摂政・関白を外戚としない」とありますので、これも正解したい問題です。
正解は「後三条」が入りますね。
空欄の直後に「天皇」とありますから、解答欄に「後三条天皇」と入れないように注意して下さいね。
次に3では、「1069年に発令したもの」とありますので、これも基本的な問題ですよね。
正解は「延久の荘園整理令」です。
単に「荘園整理令」だけではまずいですね。荘園整理令は何度も出されていますので、後三条天皇のころのものを特定するためにも「延久の」は必ず入れて下さいね。
最後に4の問題ですが、「誤っているもの」を選ぶことにくれぐれも注意して下さい。
多少細かい内容かもしれませんが、正解は「い」になります。
「摂関家のみは例外とした」という部分が誤りです。その根拠として、藤原頼通が所有していた石清水八幡宮など多数の荘園が停止されていることが、慈円の『愚管抄』に記録として残っています。
では、後三条天皇の改革について整頓しておきましょう!
一問同心のココを押さえろ!!
後三条天皇の改革は3つで十分!
〇後三条天皇(1068~1072年)…摂関家を外戚としなかった天皇
①延久の荘園整理令(1069年)
・寛徳2年(1045年)以降に新設された荘園を認めない
・それ以前でも書類の不備や国務の妨げとなるものは認めない
②記録荘園券契所(1069年)…荘園整理の執行機関で、大江匡房らを登用した
③宣旨枡を制定(1072年)
5 院の御所を警護する武士について
基本的な問題ではありますが、うっかりすると間違えてしまう可能性があります。
問題文では、「後鳥羽上皇のときに新設されたもの」とあるわけですから、正解は「西面の武士」ですね。
リード文に「白河天皇は」とありますので、「北面の武士」と誤答した受験生もいたのではないしょうか。
さて、ここで院政期のポイントをまとめておくことにしましょう!
一問同心のココを押さえろ!!
院政期は「開始」と「社会」で押さえよう!
(1)院政の開始(1086年)
〇白河天皇が堀河天皇に譲位し、上皇(院)として院庁を開設した
→白河・鳥羽・後白河上皇の3代100年間を院政期という
※実際には、江戸時代の光格上皇(1817~1840年)まで断続的に実施された
〇職員を院司/命令を院宣・院庁下文
〇院の警護役として北面の武士を設置/受領層など中下級貴族の支持を得る
〇上皇は律令を超えた存在であり、法によらず実力で争う風潮を生んだ
(2)院政期の社会
1)仏教保護
〇3人の上皇はともに出家している→高野詣・熊野詣などの寺社参詣をさかんに行う
〇白河天皇の法勝寺、堀河天皇の尊勝寺など、造寺造仏をさかんに行う
→離宮の造営も加わって、財政難に陥る
2)院の経済的基盤
①荘園…八条院領(鳥羽法皇・100か所)/長講堂領(後白河法皇・90か所)
②知行国…上級貴族が知行国主として支配権を握り、収益を得る国
※知行国主…上皇の子弟や親戚が任命されるが、現地には目代という代理人を派遣した
③院分国…院自身が収益を得る国
3)僧兵の横暴
下級僧侶が武装化し、朝廷に対して強訴するようになった
〇南都…奈良法師(興福寺の僧兵)が春日神社の神木を持って強訴した
〇北嶺…山法師(延暦寺の僧兵)が日吉神社の神輿をかついで強訴した
※この他にも「寺法師」と呼ばれる園城寺の僧兵も存在した
→社会の混乱を招き、武士によって鎮圧されるが、武士が中央に進出するきっかけとなった
6 保元の乱と平治の乱について
保元の乱と平治の乱に関する基本的な正誤判定問題です。
これも誤っているものを選ぶことにくれぐれも注意しましょう!
正解は「あ」です。
これを見抜くためには「保元の乱は貴族が主、平治の乱は武士が主」という知識が必要です。
保元の乱は院や上皇の対立が主で、武士は兵力として従うというものでした。しかし、平治の乱は源氏と平氏の対立が主で、貴族がそれに従うというものでした。
この区別ができていれば正解にたどりつけますが、混乱しやすい人は以下のポイントをしっかり押さえておけば大丈夫ですよ!
一問同心のココを押さえろ!!
保元の乱と平治の乱をしっかり区別しておこう!
(1)保元の乱(1156年)…院・上皇の対立に、摂関家の内紛が加わる
後白河天皇(弟) ↔崇徳上皇(兄) →崇徳上皇が敗れ、讃岐国(香川県)に配流される
藤原忠通(兄・関白)↔藤原頼長(弟・左大臣)→頼長が戦死(頼長の日記を『台記』という)
平清盛(甥) ↔平忠正(叔父) →忠正は斬首
源義朝(子・兄) ↔源為義(父)・源為朝(弟)→為義は斬首、為朝は伊豆大島に配流される
→鳥羽法皇の死を契機に、上皇方が敗北した
(2)平治の乱(1159年)…院近臣(院の家来)の対立だが、源氏と平氏の対立が主となる
平清盛・藤原通憲(信西)↔源義朝・藤原信頼
→源義朝が三条殿を襲撃(上皇や天皇を幽閉)し、藤原通憲は自殺した
→平清盛が上皇や天皇を救出し、勝利した
7 国司の種類について
問題文に「国司遙任の場合の代官」とあります。
これは国司の種類をしっかり押さえておかないと解答は難しいかも知れませんね。
正解は「目代」です。
平安時代には地方の政治が乱れ、国司職が利権化していきましたが、これについて以下にまとめておきますね。
苦手な人はぜひ参考にして下さい!
一問同心のココを押さえろ!!
平安時代の国司の利権化は、用語の意味を正しく説明できるように!
〇売官売位の風潮
成功…自分の財産を朝廷に寄進して、官職を授与されること
重任…成功を繰り返して、官職を再任されること
(1)遙任…任国には赴任せずに、利益のみを得る国司
〇国司不在の政庁(留守所)で、代理人として派遣された目代が政務を代行する
〇在庁官人が実際の政務を行う(在庁官人=国衙に勤務した地方豪族や大名田堵、開発領主など)
(2)受領…任国に赴任した国司の最上席者(守)で、強欲・暴政を働く国司もいた
〇藤原陳忠濃国司)…「倒るる者は土をもつかめ」(『今昔物語集』の平茸のエピソード/強欲な国司として有名)
〇藤原元命(尾張国司)…「尾張国郡司百姓等解」(988年)で訴えられ、罷免された
8 寿永二年十月宣旨についての問題
この問題文はかなり詳しいのですが、いざ解答するとなると難しいですね。
しかし、早稲田大学ではこのレベルで出題するのは当然ですので、これを機会に覚えておきましょう。
正解は「寿永二年十月宣旨」です。
この宣旨が出された前後の様子、特に源頼朝が権力を握る過程を確認しておきましょう!
一問同心のココを押さえろ!!
源頼朝が権力を握る過程は5段階!
〇源頼朝が鎌倉に入る(1180年)
①御家人の所領支配権を保障する(いわゆる「御恩」にあたる)
②源頼義が、鶴岡八幡宮を開く
〇東国支配権の承認(1183年・寿永二年十月宣旨)
①東国は、東海道・東山道をさす
②後白河法皇の源義仲追討命令に対応したもの
〇守護・地頭の設置(1185年)
後白河法皇の源頼朝追討命令に対応したもの→撤回し、源義経追討命令を出す
〇右近衛大将に就任(1190年)
すぐに辞任
〇征夷大将軍に就任(1192年)
後白河法皇の死後、後鳥羽天皇より任命される
9 守護・地頭について
守護と地頭に関する正誤判定問題ですね。
誤っているものを選ぶことにくれぐれも注意しましょう!
ただ、これはなかなかの難問ですね。
正解は「う」です。
「地頭の設置に対する公家や寺社の抵抗は少なく」という部分が誤りですが、中世の「二元的支配」についての知識がないと難しい問題ですね。
ですので、最初に「二元的支配」とは何かをまとめてから解説をすることにしましょう。
一問同心のココを押さえろ!!
中世の「二元的支配」は、朝廷と幕府それぞれで押さえていこう!
①朝廷・公家・寺社…畿内や西国が中心
国に対して →国司を任命する
荘園に対して→荘官を任命する
公領に対して→郡司・郷司・保司を任命する
②幕府…東国が中心
国に対して →守護を任命する
荘園に対して→地頭を任命する
公領に対して→地頭を任命する
さて、幕府が登場する前は、朝廷や公家・寺社によって国・荘園・公領の支配が行われていました。
しかし、幕府という新しい権力が誕生したことで、国・荘園・公領に新たに守護や地頭を設置していくことになりました。そうすると、朝廷や公家・寺社は荘園や公領からの収入が減りますので、当然反発するわけですね。
したがって、「公家や寺社の抵抗は少なく」という表現は間違いであると理解してよいでしょう。
では、改めて守護・地頭の役割を確認しておくことにしましょう。
一問同心のココを押さえろ!!
守護・地頭の区別はこれで十分!
(1)守護
〇1国に1人で、国司と併置し、東国の有力御家人から任命された
〇戦時の指揮官としての役割…御家人を統率
〇地方の行政官としての役割…国衙の在庁官人を支配
〇平時は「大犯三カ条」…京都大番役の催促・謀反人の逮捕・殺害人の逮捕
〇地頭を兼務していたため、守護としての収入はなかった
(2)地頭
〇公領・荘園に設置し、一般の御家人から任命された
〇年貢の徴収・納入や、現地の管理・治安維持にあたる
〇従来通りの荘官としての収入を得る
10 鎌倉幕府と公家政権の関係について
これはなかなかの難問ですね。おそらく多くの受験生が迷ったのではないでしょうか。
正解は「う」です。
「京都守護」は鎌倉幕府の役職の一つで、京都の警備や朝廷との連絡にあたりました。
しかし、選択肢に出てくる「源通親」は京都守護には就任していません。
京都守護に最初に就任したのは、1185年の北条時政でした。これを知っている受験生はほぼいないと思いますね。
ただし、京都守護は承久の乱の後に六波羅探題となっていることは、基本中の基本です。
さて、選択肢の「お」に重要な内容がありますよ。「皇族将軍」というものです。
「鎌倉時代に将軍は何人いたか?」という質問で、「3人」と答える受験生もいると思いますが、正しくは「9人」なんですよね。では、鎌倉時代の将軍についてまとめておきましょう。
一問同心のココを押さえろ!!
鎌倉時代の将軍は全部で9人!
①源頼朝
②源頼家…十三人の合議制/伊豆の修禅寺で暗殺される
③源実朝…鶴岡八幡宮でおいの公暁に暗殺される
➃九条頼経…摂家将軍の初代/3代執権北条泰時が迎える
⑤九条頼嗣…摂家将軍の2代目
⑥宗尊親王…皇族将軍の初代/5代執権北条時頼が迎える
⑦惟康親王…皇族将軍の2代目
⑧久明親王…皇族将軍の3代目
⑨守邦親王…皇族将軍の4代目
※①・②・③・➃・⑥は難関大学以外でも頻出です!
一問同心の日本史学習ワンポイントアップ⑨
日本史の問題をいろいろ解いていますと、やはり「史料問題」が目立つようになりましたね。大学入試共通テストでも、初見の史料を用いた問題が主流となっていますが、私立大学では、教科書に記載されている基本的な史料の内容が把握できているかどうかがカギになります。
不安がある人は教科書の史料を必ずチェックしておきましょう!
さて、今回はいかがだったでしょうか?
早稲田大学とはいえ、基本的な問題をいかに落とさずに正解するか、初見の知識をいかに自分の知識にしていくかが重要であるといえますね。
では、次回もよろしくお願いします!
創心館のブログにおいでいただき、ありがとうございました。
また次回をお楽しみに!
文責:藤井 宏昌