日本史解説!【2020年度・早稲田大学(法)】第3問

【シリーズ】藤井の過去問解説

皆さん、こんにちは!
創心館の藤井と申します。

大学入試問題日本史の全問解説ブログ、11回目です!
どうぞよろしくお願いします。

今回も【2020年度・早稲田大学(法)】の日本史で、第3問を解説します

一問同心のココを押さえろ!!」でガッチリ得点源にしていきましょう!

それでは、さっそくまいりましょう!

まずは問題にチャレンジしてみよう!

いつものように、まずは何も見ないで、自分の力で問題にチャレンジしてみましょう!
そして、じっくりと解説を読んでいって下さいね!

さあ、いかがでしたか?
なかなか難しい問題がそろっていたと思いますが、それでは解説をしていきましょう!

1 満州についての問題

正解は「う」と「え」です。
それぞれの選択肢に初見の用語などはありませんから、いかにその内容を理解しているかどうかで差がつく問題ですね。
「う」の「半官半民の鉄道会社」とは「南満州鉄道株式会社」です。一般に「満鉄」と呼ばれ、1906年に大連だいれんに本社が置かれました。この初代総裁に就任したのは後藤新平ごとうしんぺいで、東京市長として1923年の関東大震災の復興にも尽力した人物です。
「え」日露戦争に勝利した日本と、満州進出を狙うアメリカとの関係は悪化していきました。このあたりは盲点にもなりますので、次にまとめておきますね。

一問同心のココを押さえろ!!
日露戦争後の日本とアメリカの関係の悪化

鉄道王といわれたハリマンの満鉄買収案(買収後は共同経営を提案)を日本が拒否した
→日本人に対する妨害が始まる(日本人移民排斥問題サンフランシスコ学童排斥問題など)
日米紳士協約(1908年)で、日本からの移民を自主規制した
ノックスの中立案(7か国による満鉄の共同管理を提案)も失敗した



では、その他の選択肢の誤りを検証していきましょう。大事なのは「分析的に解く」ということですよ。
「あ」「ロシアから旅順・大連を租借した」という部分が誤りです。日露戦争当時、旅順りょじゅん・大連がある遼東りょうとう半島(リヤオトン半島)を所有していたのは清でした。ですので、ロシアからではなく清から租借したことになります。
「い」関東都督府かんとうととくふは「この地域(満州)全体を統治する機関」ではなく、遼東半島の南部にあたる「関東州」を管轄した機関でした。1906年に旅順に設置され、1919年に関東庁(事務部門)と関東軍(軍事部門)に分離しました。
「お」「日露両国が締結した協約(日露協約)」は、「ロシア革命後も存続した」というのが誤りです。ロシア革命によってソビエト連邦が誕生したことにより、1917年に廃棄されました。

2 中国の山東省に関する問題

これは誤っているものを選ぶ問題ですので、くれぐれも注意しましょう!
正解は「あ」と「え」です。
では、誤りを検証してみましょう。
「あ」については、ドイツが山東半島の膠州湾こうしゅうわんを租借したのは日清戦争後ですので、「北清事変ほくしんじへん後のドイツによる膠州湾租借」が誤りです。ところで、「北清事変」と「義和団の乱(義和団事件)」とはどういう関係があるのかという疑問を持っている人も多いのではないでしょうか。
単純に言えば、
義和団の乱(1899年)…義和団が「扶清滅洋ふしんめつよう」を唱え、北京公使館を包囲した事件
北清事変(1900年)…清が列国に宣戦布告したが、8か国の連合軍によって鎮圧された事件
と理解しておけば大丈夫ですね。
「え」については、「山東半島の旧ドイツ権益を中国に返還した」のは九か国条約ではありません。正しくは「山東懸案さんとうけんあん解決に関する条約」によるものでした。これは知っている受験生も少ないと思いますから、判断に迷いますね。

では、他の選択肢もチェックしていきましょう。
「い」日本が第一次世界大戦中の1915年に、中国の袁世凱えんせいがい政府に出した「対華二十一カ条の要求」の第1号で山東省のドイツ権益接収せっしゅうを求めていました。
「う」日本が求めていた山東半島の旧ドイツ権益の継承が、1919年のヴェルサイユ条約で認められました。しかし、中国では五・四運動日貨にっか排斥運動(日本製品を買わない)などの運動が起こりました。
「お」田中義一たなかぎいち内閣による山東出兵の説明です。対中国強硬外交として三度にわたる山東出兵を実施しましたが、二回目の出兵で蔣介石しょうかいせき率いる北伐ほくばつ軍と衝突しています(1928年の済南事件さいなんじけん)。

さて、「え」の選択肢に「ワシントン会議」とありますが、日本が第一次世界大戦後に参加した国際会議は、他にも「パリ講和会議」「ロンドン会議」があります。
混同しやすいですので、きちんと整頓しておきましょう!


一問同心のココを押さえろ!!
第一次世界大戦後の三大国際会議はよく出るぞ!

(1)パリ講和会議(1919年・原敬内閣)
 ○全権は西園寺公望さいおんじきんもち牧野伸顕まきののぶあき
 ○ヴェルサイユ条約…23か国が調印。アメリカ大統領ウィルソンの14カ条が基礎になった
   ドイツの処分…領土削減・軍備制限・多額の賠償金・非武装地帯の設置
   民族自決東ヨーロッパ諸国の独立(ハンガリー・チェコ・ポーランドなど)
   日本の利得…赤道以北のドイツ領南洋諸島の委任統治山東省のドイツ権益
 ○ヴェルサイユ体制の確立…戦後ヨーロッパの国際秩序(ドイツを封じ込める)

(2)ワシントン会議(1921~1922年・高橋是清たかはしこれきよ内閣)
 ○全権は加藤友三郎かとうともさぶろう徳川家達とくがわいえさと幣原喜重郎しではらきじゅうろう
 ○アメリカ大統領ハーディングの呼びかけで、建艦けんかん競争の緩和が目的であった
  ①四か国条約(1921年)…日英同盟が廃棄された
  ②九か国条約(1922年)…石井=ランシング協定が廃棄され、二十一カ条要求の一部も廃棄された
  ③海軍軍縮条約(1922年)…主力艦の保有を制限米英5・日本3・仏伊1.67
  ○ワシントン体制の確立…戦後東アジア・太平洋の国際秩序(日本を封じ込める)

(3)ロンドン会議(1930年・浜口雄幸はまぐちおさち内閣)
  ○全権は若槻礼次郎わかつきれいじろう
  ○イギリス首相マクドナルドの呼びかけ
  ○ロンドン海軍軍縮条約補助艦の保有を制限米英10・日本7
   →統帥権干犯とうすいけんかんぱん問題(天皇の許しなしで軍縮条約を結んだのは、統帥権を否定するものであるとして野党が攻撃)

3 山東省における根拠地を答える問題

空欄Aの後ろに「Aを根拠として、山東の地に、領土的経営を行わば」とあります。
これは、中国大陸の地図をきちんと見ているかどうかで差がつく問題ですね。
正解は「青島」です。読み方は「チンタオ」ですね。
日本が第一次世界大戦の時に占領したのが、山東半島の拠点である青島でした。

4 韓国併合後の朝鮮と日本の関係についての問題

これも誤りを選ぶ問題ですので、気をつけましょう!
正解は「う」です。
「う」の選択肢では、1919年の三・一独立運動について述べられています。
この運動を鎮圧した時の内閣は、「寺内(正毅)内閣」ではなく「原敬内閣」です。
寺内正毅てらうちまさたけ内閣は1916年から1918年まで、原敬内閣は1918年から1921年まで、それぞれ内閣総理大臣を務めています。おそらくここまで知っている人は少ないと思いますので、かなりの難問といえますね。
では、他の選択肢もチェックしていきましょう!
「あ」「い」ソウルのパゴダ公園での集会が、三・一独立運動のきっかけとなりました。
「え」三・一独立運動の鎮圧後に第3代の朝鮮総督となった斎藤実さいとうまことを中心に、武断政治から文化政治へと変わっていきました。斎藤実は後に内閣総理大臣になりましたが、1936年の二・二六事件で狙撃され、死亡しました。
「お」これは新情報ですね。三・一独立運動の後も運動の継続と拡大を目的に、1919年、上海に大韓民国臨時政府が設立されました

5 中国と日本の関係についての問題

正解は「お」です。
中国は、第一次世界大戦では連合国の立場でしたので、ヴェルサイユ条約に調印する権利はありました。
しかし、1919年の五・四運動の発生に伴い、ヴェルサイユ条約の調印を拒否する事態となりました。したがって、「中国政府がヴェルサイユ条約に調印した」が誤りとなります。
こうした事態を招いた原因の一つに、「対華二十一カ条の要求」があります。その内容について整頓しておきましょう。

一問同心のココを押さえろ!!
対華二十一カ条の要求の内容を押さえておこう!

対華二十一カ条の要求(1915年・第2次大隈重信内閣)
 加藤高明かとうたかあき外相から中国の袁世凱えんせいがい政権へ提出された
 第1号…山東省のドイツ権益を接収すること
 第2号…旅順・大連・満鉄の租借期間を延長すること
 第3号…漢冶萍公司かんやひょうこんす(中国最大の製鉄所)を共同経営すること
 第4号…福建省ふっけんしょうの沿岸を他国へ譲らないこと
 第5号…日本人を政治・財政・軍事顧問に任用すること
 →中国の排日運動が激化(5月9日を国恥こくち記念日とした)

6 1919年当時の国際関係について

正解は「イタリア」です。
なかなか難しい問題ですね。ただ、解答の候補を絞ることはできますので、次に説明しますね。
まず、空欄Bの前後を確認すると、「少なくも英米仏( B )等の諸国に比し」とあります。
次に、③の史料が書かれたのが「1919年8月15日」となっていますので、1919年当時の国際情勢を考えます。
1919年は、第一次世界大戦が終わってパリ講和会議が開かれた年ですので、この時点での主要国はイギリス・アメリカ・フランス以外にどこがあるか、ということです。
そもそも、第一次世界大戦の原因は三国同盟と三国協商の対立でしたよね。三国同盟はドイツ・オーストリア・イタリア、三国協商はイギリス・フランス・ロシアでしたから、解答の候補としてはドイツ・オーストリア・イタリア・ロシアのいずれかになります。
しかし、ここまでは絞れても、イタリアを答えさせるヒントがありませんので、間違えたとしても、答えられなかったとしても、合否に影響はありません

7 台湾に関する問題

正解は「う」です。
では、誤りを検証することにしましょう。
台湾は、日清戦争後の下関条約で日本の支配を受けることとなり、台湾総督府が設置されました。初代の台湾総督には樺山資紀かばやますけのりが就任しましたが、大正時代の原敬内閣の成立前までは陸海軍の大将たいしょう中将ちゅうじょうクラスが就任していました。しかし、原敬内閣での人事において、立憲政友会系の文官を台湾総督に任命していますから、「一貫して」というのが誤りとなります。
これもかなり細かい知識を要求されますので、迷った受験生も多かったと思います。
その他の選択肢ですが、「え」に「台湾銀行」とあります。そうすると、「おっ、これは金融恐慌に関係があるな」と連想できれば相当力がありますね。
では、金融恐慌とはどのようなものだったのかを、改めて確認しておきましょう!

一問同心のココを押さえろ!!
金融恐慌のポイントはこれだ!

○大前提
第一次世界大戦の終結で、列強が経済を回復
大戦景気の反動で、恐慌状態に(戦後恐慌・1920年)
関東大震災の発生(震災恐慌・1923年)…日本銀行による特別融資で収まる
→銀行経営の不良化(金融恐慌・1927年)

金融恐慌(1927年・第1次若槻礼次郎内閣
 大蔵大臣片岡直温かたおかなおはるの失言で東京渡辺銀行が倒産取付とりつけ騒ぎ(預金の引き出しに殺到すること)の発生
 →鈴木商店が破産し、台湾銀行が休業に追い込まれる
 →内閣は台湾銀行救済勅令案を議会に出すが、枢密院によって否決される
 →内閣総辞職へ

○金融恐慌の結果
 為替相場が下落した
 五大銀行三井・三菱・住友・安田・第一)に預金が集中する
 財閥と政党が癒着するようになった(三井と立憲政友会、三菱と憲政会〔立憲民政党〕)

8 樺太に関する問題

正解は「お」です。
さあ、どこが誤りなのかを検証してみましょう。
ソ連がサンフランシスコ平和条約(1951年)に調印しなかったのは事実ですが、「日本の南樺太放棄は取り決められなかった」が誤りです。
サンフランシスコ平和条約では、北緯30度以南の南西諸島、小笠原諸島、南樺太などの権利の放棄が明確に規定されていました。しかし、ソ連がこれに調印していませんので、南樺太の帰属先は国際法では未定のままとなっています。
では、その他の選択肢もチェックしていくことにしましょう。
「あ」樺太・千島交換条約(1875年)で、千島列島(ウルップ島からシュムシュ島まで)を日本が、樺太をロシアが領有することになりました。この条約の日本全権は榎本武揚えのもとたけあきでしたね。
「い」ポーツマス条約(1905年)で、北緯50度以南の樺太が日本領となったことは基本事項ですね。
「う」ヤルタ会談(1945年)はアメリカ(ローズヴェルト)・イギリス(チャーチル)・ソ連(スターリン)による会談で、ソ連の対日参戦の確認と、千島・樺太をソ連が領有してよいとする内容でした。
「え」ソ連の参戦は1945年8月8日でした。前日は広島へ、翌日は長崎への原爆投下がありました。

9 シベリア出兵に関する問題

正解は「え」です。
シベリア出兵は、アメリカ・イギリス・フランスと共同出兵の形で行われましたが、形勢が悪化したためにすべての国が撤兵しました。
したがって、「日本は駐兵を続けた」が誤りになります。
ちなみに選択肢の「お」にある「パルチザン」とは、「他国の軍隊または反乱軍等による占領支配に抵抗するために結成された、非正規軍の構成員」のことです。
では、シベリア出兵とその後の影響について整頓しておきましょう。

一問同心のココを押さえろ!!
シベリア出兵とその影響については世界と日本の両サイドから覚えよう!

(1)シベリア出兵(1918~1922年)の経過
 ①寺内正毅内閣の頃に開始
 ②1917年のロシア革命(指導者はレーニン)に対する干渉戦争
 ③チェコスロバキア軍救援を名目とし、アメリカ・イギリス・フランスと共同で出兵
 ➃尼港にこう事件(1920年)…アムール川河口のニコラエフスク(日本語で尼港)での日本人虐殺事件
  →形勢悪化のきっかけとなり、すべての国が撤兵した

(2)シベリア出兵の影響
 シベリア出兵による米の買い占めで米価が上昇する
 →富山県での米屋襲撃などの暴動をきっかけに全国に拡大する(米騒動・1918年)
 →軍隊によって鎮圧されるが、社会運動を刺激して、寺内内閣は退陣


10 史料の著者が所属していた政党名を答える問題

これはかなり難しい問題です。
史料の中にヒントとなるキーワードはありませんし、設問文では「第二次世界大戦後」に内閣を組織しているとありますが、それでも解答するのは容易ではありません。
正解は「自由民主党」です。
この史料を書いたのは、石橋湛山いしばしたんざんという人物です。
第二次世界大戦前は『東洋経済新報』の社員として、国家として正常な政策とされることもあった帝国主義を日本にはそぐわないものと見抜き、国際協調を背景とした貿易・科学による経済安定を提唱しました。
第二次世界大戦後、1955年に自由民主党が誕生して初の総裁選挙に当選し、1956年12月、「脱冷戦」「日中米ソ平和同盟」をかかげて内閣総理大臣に就任しましたが、病気のために退陣しています。

一問同心の日本史学習ワンポイントアップ(11)

私立大学では、「年代順の並べ替え問題」がよく出題されますが、その攻略法を教えてほしいという相談も毎年のように受けます。
私の答えとしては、「その出来事が何時代のいつごろ(前期・中期・後期)に起こったものなのか」をまず検証しなければいけません。年代を覚えていないと並べ替えできない問題もありますが、日本史において重要なのは「時代」です
並べ替え問題にあたるときは、必ずそこを押さえるようにしましょう!

さて、今回の問題はいかがだったでしょうか?

ある程度までは絞り込めるけれども、最後の決め手がなかなか難しい問題が多かったですね。
ただ、入試問題はいろいろな新情報を私たちに提供してくれますので、「問題から学ぶ」という姿勢を大切にしましょう!

では、次回は最後の第4問になりますが、気合入れてガンガン解説しますよ!

創心館のブログにおいでいただき、ありがとうございました!

次回もお楽しみに!

文責:藤井 宏昌















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