はじめに
皆さん、こんにちは!
創心館の藤井と申します。
大学入試問題日本史の全問解説ブログ、今回で7回目です。
どうぞよろしくお願いします。
第7回目は【2022年度・近畿大学(法・経済・経営・文芸・総合社会)】の日本史第3問を扱います。出題形式はシンプルなんですが、内容はなかなかの難易度ですよ。
それでは、さっそくまいりましょう!
まずは問題を解こう!
いつものように、解説を読む前に、自分で必ず解いてみましょう!
さあ、できましたか?
それでは、解説を始めていくことにしましょう!
問1 江戸時代の諸藩の政治改革について
空欄1の前後に「紙や蠟(ろう)の専売制」「越荷方」という用語がみえますね。
特に決め手になるのは「越荷方(こしにかた)」です。
江戸時代末期の西日本諸藩の政治改革に関連するもので、長州藩の政治改革ですよ。
「長州=現在の山口県」が分かれば、正解は②の下関となりますね。
さて、江戸時代末期の西日本諸藩の政治改革については整頓できているでしょうか?
<一問同心のココを押さえろ‼>
江戸時代末期の西日本諸藩の政治改革
○要職に下級武士を登用し、専売制や軍事力を強化して、雄藩に成長していきました。
○薩摩…島津重豪(しげひで)が調所広郷(ずしょ・ひろさと)を登用し、黒砂糖を専売にして琉球貿易を拡大しました。その後、島津斉彬(なりあきら)が造船所、ガラス製造所などを集めた「集成館」という工場群を建設したことも重要ですよ。
○長州…毛利敬親(たかちか)が村田清風(せいふう)を登用し、紙や蠟の専売や下関の越荷方(西廻り航路で運ばれてきた荷物を大阪まで運ぶ代行サービス的な役所)で収益を上げました。
○佐賀…鍋島直正(なおまさ)によって改革が実施され、陶磁器の専売などで利益を上げました。また、日本初の大砲製造の溶鉱炉である「反射炉」を築造して、軍事力を高めたことも重要ですね。
問2 江戸時代のおもな歴史書について
空欄2の前に「朝鮮国王の将軍宛国書の宛名を『日本国大君』から『日本国王』に改めさせた」とあります。
これを実施した人物といえば、新井白石ですね。
そうすると、新井白石の著書を選ぶことになりますから、正解は④の『読史余論』(とくしよろん)です。
日本の歴史を「九変五変説」という独自の視点で紹介していることが特徴的な本です。
①の『本朝通鑑』(ほんちょうつがん)は、江戸時代の初期に編さんされた江戸幕府の歴史書です。この編集にあたった林羅山(らざん)・林鵞峰(がほう)親子も必ず押さえておきましょう。
②の『大日本史』は水戸藩主であった徳川光圀(みつくに)によって編さんされた歴史書ですね。江戸に彰考館(しょうこうかん)という編集局を設けて、明治時代の1906年に完成した歴史書です。
③の『聖教要録』(せいきょうようろく)は、江戸時代の古学者である山鹿素行(やまが・そこう)の著作で、江戸幕府の学問である朱子学を批判した本です。
問3 江戸時代の蝦夷地調査について
空欄3の後に「( 3 )の意見を取り入れ、最上徳内らに蝦夷地の調査を命じ」とあります。
当時の老中であった田沼意次が最上徳内らに命じて蝦夷地を調査させ、ロシアとの交易を計画したことは基本的な内容ですね。さて、田沼意次は誰の意見を取り入れたのかを思い出してみましょう。
正解は④の工藤平助ですね。工藤平助が『赤蝦夷風説考』という本で北方開発の重要性を提案したことがきっかけだったんですね。
①の安藤昌益(しょうえき)は身分や階級の区別なく、すべての者が労働に携わるべきだとして『自然真営道』(しぜんしんえいどう)を著しました。
②の高野長英(ちょうえい)は『戊戌夢物語』(ぼじゅつゆめものがたり)で異国船打払令を批判したとして、渡辺崋山とともに処罰された蛮社の獄で有名ですね。
③の山脇東洋(とうよう)は、人体解剖を日本で初めて行った医学者であり、『解体新書』で有名な杉田玄白や前野良沢らの日本医学の先駆者となりました。あまりなじみのない人物かも知れませんが、これを機会に覚えておくといいですよ。
問4 江戸時代の貨幣改鋳について
空欄アの前に「大阪堂島の米市場を公認」とあります。
この政策は8代将軍徳川吉宗による享保の改革で行われ、その時に造られた貨幣を「元文」(げんぶん)金銀といいますが、これを知っている受験生は少ないと思います。
次に空欄イの前には「小判の改鋳を進言」「慶長金銀より質の劣る」とありますね。
これは基本的な内容ですから合わせたいところです。イに入るのは「元禄」です。
よって正解は②となりますね。
ここで、江戸時代の貨幣改鋳(かへいかいちゅう・小判に含まれる金の量を調節して新しい小判を発行すること)のポイントをまとめておきましょう。
<一問同心のココを押さえろ‼>
江戸時代の貨幣改鋳でできた小判
○慶長金銀(慶長小判)…1601年より発行された、江戸時代最初の小判です。
○元禄金銀(元禄小判)…勘定吟味役の荻原重秀(おぎわら・しげひで)が5代将軍徳川綱吉に進言し、金の量を大幅に落として発行された小判です。これによって物価が上昇し、経済が混乱しました。
○正徳金銀(正徳小判)…新井白石によって発行された小判で、金の量を慶長金銀とほぼ同量に戻しました。しかし、元禄金銀を回収できなかったため、物価の上昇は収まりませんでした。
問5 享保の改革について
問4の結果をもとにすれば、②の徳川吉宗が正解となりますね。
さて、享保の改革の内容は大丈夫でしょうか?
入試で出題しない大学はないといわれるほど、江戸時代の改革については出題されますから、絶対に押さえておきましょうね。
ここでは享保の改革のおもな内容を整頓しておきますので、自分の言葉ですぐに言えるようにしておきましょう。
<一問同心のココを押さえろ‼>
入試頻出!享保の改革
○紀伊藩主出身の8代将軍徳川吉宗が実施した改革です。
○上げ米の制…大名に1万石につき米を100石上納する代わりに、参勤交代での江戸にいる期間を半減するというものでした。
○年貢を増やすために…検見法(けみほう・年ごとに米の収穫量をもとにして年貢率を決定する方法)から定免法(じょうめんほう・豊作凶作に関係なく年貢率を一定にして年貢を徴収する方法)に変更しました。
○足高の制(たしだかのせい)…役職に応じて、在職期間中のみ給与を増額する制度でした。これにより、有能な人材を確保することが可能となりました。
○目安箱の設置…これにより、小石川養生所(こいしかわようじょうしょ・無料の医療施設)や町火消(まちひけし・いろは47組に編成して江戸の消防活動にあたる)の設置が実現しました。
○相対済し令(あいたいすましれい)…金銭貸借の訴訟に関しては、評定所では一切受け付けないことにした法令です。裁判事務の簡素化を目的としました。
○公事方御定書(くじかたおさだめがき)…裁判の基準を示したもので上巻と下巻に分かれており、特に下巻を「御定書百箇条」(おさだめがきひゃっかじょう)といいます。
○堂島の米市場を公認・元文小判を鋳造…米価調節のための政策で、これにより吉宗は「米公方」(こめくぼう)とも呼ばれました。
問6 徳川吉宗の時代に発令された史料について
徳川吉宗が発令した史料として正しいものを選ぶ問題です。
教科書レベルのものもあれば、あまりなじみのない史料もありますので、迷った受験生は多かったのではないでしょうか。
①新井白石の発令した「海舶互市新例」の一節です。
長崎貿易での決済は、金銀ではなく銅で決済するようにとの内容です。
これは誤りですね。
②松平定信の発令した「旧里帰農令」の一節です。村へ帰りたくてもお金がない場合には、町役人の許可を得るようにという内容です。水野忠邦が天保の改革で実施した「人返しの法」と区別して押さえておきましょう。
これも誤りになります。
③「かれうた渡海の儀、之を停止せられ」とあります。
これは鎖国の完成のところでよく出てくる、1639年のポルトガル船の来航を禁止する内容でした。「かれうた」がポルトガル船を指すという問題も多くの大学で出題されていますから、ぜひ覚えておきましょう。
したがって、これも誤りです。
➃徳川吉宗の発令した「相対済し令(あいたいすましれい)」です。
金銭貸借の訴訟に関しては、今後は評定所で受け付けないという内容です。裁判事務を簡素化するのがこの法令の目的でしたね。
よって、正解は④となります。
問7 荻原重秀について
Bの人物を選ぶ問題です。
問4でも説明していますが、5代将軍徳川綱吉に対して貨幣改鋳を進言し、元禄小判を発行させた人物でしたね。
正解は③の荻原重秀です。彼は勘定吟味役(勘定奉行の補佐役)という役職にありましたが、のちに勘定奉行に昇格しています。
①の松平信綱(のぶつな)は、1637年の島原・天草一揆の時、幕府軍の司令官として活躍した人物で「知恵伊豆」とも呼ばれました。
②の保科正之(ほしな・まさゆき)は徳川家康の孫にあたり、会津藩の藩主、のちに4代将軍徳川家綱を補佐した人物ですね。
➃の堀田正俊(ほった・まさとし)は、5代将軍徳川綱吉のころの大老として活躍した人物でした。
問8 村田清風について
Cの人物を選ぶ問題です。
問1が大きなヒントになりますよ。長州藩の藩政改革に貢献した人物ですから、正解は①の村田清風ですね。
②の調所広郷は薩摩藩の藩政改革で活躍した家老でしたね。
③の江川太郎左衛門(えがわたろうざえもん)は、伊豆(現在の静岡県)の韮山(にらやま)の代官であり、反射炉を築いた人物として有名ですよ。
➃の橋本左内(はしもと・さない)は、幕末に大老井伊直弼による安政の大獄によって処刑された人物です。
問9 新井白石について
Dの人物を選ぶ問題です。
これは問2がヒントになっていますね。正解は③の新井白石です。
①の林羅山は徳川家康に仕えた朱子学者であり、『本朝通鑑』という歴史書を著したことはすでに説明しましたね。
②の雨森芳洲(あめのもり・ほうしゅう)はあまりなじみのない人物ですが、中国語や朝鮮語を得意とし、朝鮮通信使の通訳として活躍しました。これを機会に覚えておくといいですね。
➃の徳川光圀は『大日本史』の編さんにあたった水戸藩主でしたね。
問10 田沼意次について
Eの人物を選ぶ問題です。
これは問3がヒントですよ。正解は①の田沼意次ですね。
②の間部詮房(まなべ・あきふさ)は、6代将軍徳川家宣(いえのぶ)・7代将軍徳川家継(いえつぐ)の側用人(そばようにん)として仕えた人物です。側用人とは「将軍の考えを老中に伝える役職」と理解しておけばいいでしょう。
③の阿部正弘(あべ・まさひろ)は、1853年のペリー来航の時の老中で、安政の改革を行った人物ですね。
➃の堀田正睦(ほった・まさよし)は、ペリーの後に来日したハリスの通商要求を朝廷に報告した老中です。
一問同心の日本史学習ワンポイントアップ⑦
日本史に限らず、歴史は「原因」と「結果」で動いています。
「何年に何があった」とだけ覚えていたとしても、さまざまなパターンで出題される入試問題にはなかなか対応できません。
日本史を学習するときには、その出来事の原因は何なのか、そしてその後どうなったのかを、自分の言葉で説明できるようにしていきましょう。
そうすることで、問題を解くために必要な知識の幅がぐっと広がりますよ!
さて、今回の問題解説はいかがだったでしょうか。
選択肢の中にはあまり見かけない用語や人物もありましたが、この問題解説を通してガンガン知識にしていきましょう!
では、第7回目はここまでといたしましょう。
次回は近畿大学の第4問を解説しますので、どうぞお楽しみに!
文責:藤井宏昌