皆さん、こんにちは!
創心館の藤井と申します。
大学入試問題日本史の全問解説ブログ、今回で8回目です。
どうぞよろしくお願いします。
前回に引き続き、【2022年度・近畿大学(法・経済・経営・文芸・総合社会)】の日本史第4問を扱います。
そして、今回で近畿大学の問題については終了となります。
今回も問題を通して、さまざまな知識を身につけていきましょう!
それでは、さっそくまいりましょう!
まずは問題を解こう!
いつものように、まずは問題にチャレンジして、今の段階でどのくらい解けるかをチェックしましょう!
さあ、どうでしたか?
では、さっそく解説に入りましょう!
問1 赤瀾会を結成した人物を答える問題
リード文Aの中に、「母性保護論争」「赤瀾会」というのがみえますね。
選択肢は、いずれも日本の歴史上有名な女性ですが、なかなか判断に迷いますね。
正解は①の山川菊栄(やまかわ・きくえ)です。
明治時代から大正時代にかけての女性解放運動で活躍し、伊藤野枝とともに赤瀾会(せきらんかい)を結成しました。
②の与謝野晶子は、明治時代後期のロマン主義文学の中心的存在で、夫の与謝野鉄幹とともに雑誌『明星』を発刊しましたね。そして、「君死にたまふことなかれ」という反戦詩でも有名です。
③の平塚らいてうは、1911年に青鞜社(せいとうしゃ)を結成し、女性解放運動の先駆者ともなりました。雑誌『青鞜』の最初に「元始、女性は太陽であった。今は月である」と書かれていることも、史料問題でよく出ますので覚えておくといいでしょう。
➃の市川房枝(いちかわ・ふさえ)は、1924年に婦人参政権獲得期成同盟会を結成し、婦人参政権獲得運動を展開しました。また、1953年には参議院議員に初当選した人物です。
なお、リード文にある「母性保護論争」とは、1918年から1919年にかけて、母親は国家の保護を受けるべきだとする平塚らいてうと、母親に経済的な自立を求める与謝野晶子との間で展開された論争です。教科書ではなじみのない用語かもしれませんが、覚えておくと差がつきますよ。
では、明治時代から大正時代にかけての女性解放運動と、大正時代の社会運動のポイントについてまとめておきますね。
一問同心のココを押さえろ‼
明治時代から大正時代にかけての女性解放運動
青鞜社の結成(1911年・平塚らいてう)…文学運動を展開し、雑誌『青鞜』を発刊した
→新婦人協会の結成(1920年・平塚らいてう・市川房枝)…政治運動を展開し、治安警察法第5条の撤廃を要求した
→婦人参政権獲得期成同盟会(1921年・山川菊栄・伊藤野枝)
赤瀾会(1921年・山川菊栄・伊藤野枝)…女性の社会主義団体として結成された
一問同心のココを押さえろ‼
大正時代の社会運動
大正時代の社会運動は、運動名と全国組織名を一緒に覚えることが大事!
1921~1922年に集中していることにも注目ですよ!
○労働運動…第1回メーデー(1920年)・日本労働総同盟の結成(1921年)
○農民運動…日本農民組合の結成(1922年)
○社会主義運動…日本社会主義同盟の結成(1920年)・日本共産党の結成(1922年)
○女性解放運動…新婦人協会の結成(1920年)
○部落解放運動…全国水平社の結成(1922年)
問2 津田梅子が設立した塾について
Aのリード文の空欄2の前には「津田梅子」がありますね。これは大きな手がかりですよ。
もちろん、正解は③の女子英学塾ですね。
1871年の岩倉使節団に同行した、日本初の女子留学生であり、日本における女子教育の先駆者でもありました。
帰国後には女子英学塾を開校し、戦後の学制改革を経て、現在では津田塾大学となっています。
①の同志社は、1875年にキリスト教の精神に基づいて新島襄(にいじま・じょう)が設立した学校で、現在の同志社大学に受け継がれています。
②の女子師範学校は1874年に設立されました。代表的なものとしては、1890年に女子高等師範学校が設立され、現在のお茶の水女子大学に受け継がれています。多少細かいかもしれませんが、覚えておくといいですね。
➃の開智学校(かいちがっこう)は、1876年に長野県松本市に開校した小学校で、近代の学校建築として初めて国宝に認定されました。
ではここで、明治時代の教育制度の整備の流れと、専門教育に携わった学校についてそれぞれ整頓しておきましょう!入試頻出ですよ!
一問同心のココを押さえろ!!
明治時代の教育制度の整備
○文部省を設置(1871年)…初代の文部卿に大木喬任(おおき・たかとう)が就任した
○学制(1872年・大木喬任)…フランスをモデルとし、国民皆学や初等教育に重点を置くが、学制反対一揆が頻発した
○教育令(1879年)…アメリカをモデルとし、教育の地方分権に重点を置くが、自由主義的と批判される
○学校令(1886年・森有礼〔もり・ありのり〕)…小学校令・中学校令・師範学校令・高等学校令の総称で、尋常小学校での義務教育を4年とした
○教育勅語(1890年)…井上毅(いのうえ・こわし)らが起草し、「忠君愛国」を理念とした
一問同心のココを押さえろ!!
専門教育に携わった学校
○官僚養成…東京大学(1877年)
○教員養成…師範学校(1872年)
○女子教育…東京女学校(1872年)・女子師範学校(1874年)・日本女子大学校(1901年・成瀬仁蔵が設立)
○私立学校…慶應義塾(1868年・福沢諭吉)・同志社(1875年・新島襄)・東京専門学校(1882年・大隈重信)
問3 社会主義研究会のメンバーについて
正解は③の三宅雪嶺(みやけ・せつれい)ですが、これはなかなか難しいですね。迷った受験生も多かったと思います。
三宅雪嶺は、日本的な美意識や伝統を強調する考え方である「国粋主義」(こくすいしゅぎ)を唱え、1888年に政教社を結成し、雑誌『日本人』を発刊した人物です。
さて、受験生が最も苦手としている単元に、社会主義や共産主義に関するものがあげられます。
これを機会に、しっかりポイントを押さえておきましょう!
一問同心のココを押さえろ!!
社会主義運動の展開
○社会主義研究会の結成(1898年)
→社会民主党の結成(1901年)…初の社会主義政党であったが、治安警察法によって直後に禁止された
※メンバー…安部磯雄(あべ・いそお)・片山潜(かたやま・せん)・幸徳秋水・木下尚江(なおえ)ら
○平民社による反戦運動(1903~1907年)…幸徳秋水・堺利彦(さかい・としひこ)らが『平民新聞』を発刊して展開した
○日本社会党の結成(1906年・第1次西園寺公望内閣)…初の合法的な社会主義政党として結成された
→議会政策派(堺利彦・片山潜ら)と直接行動派(幸徳秋水ら)が対立し、直接行動派が優勢になったため、1907年に治安警察法によって禁止された
○大逆事件(1910年・第2次桂太郎内閣)…幸徳秋水ら12名が処刑され、社会主義運動は「冬の時代」へ入る
○警視庁に特別高等課を設置(1911年)…思想犯や政治犯を取り締まった
問4 伊藤野枝について
正解は①です。
1923年の関東大震災後、社会主義者が殺害される事件が起きましたが、正解の選択肢にある事件は甘粕事件(あまかすじけん)と呼ばれるもので、他にも亀戸事件(かめいどじけん)がありました。
②の小説『たけくらべ』を著したのは、樋口一葉でしたね。ロマン主義文学者として活躍し、『にごりえ』も有名です。
③の歌集『みだれ髪』を著したのは、与謝野晶子でした。これは基本ですね。
➃は難しいですね。大日本婦人会とは、1942年、太平洋戦争中に結成された婦人団体で、大政翼賛会の下部組織として位置づけられました。
さて、ここで関東大震災後の社会混乱についてまとめておきましょう!
一問同心のココを押さえろ!!
関東大震災後の社会混乱
○関東大震災(1923年9月1日)…加藤友三郎首相が病死したのちに発生した
○自警団による朝鮮人や中国人の殺害
○亀戸事件(1923年)…社会主義者の平沢啓七(ひらさわ・けいしち)らが東京亀戸で殺害された事件
○甘粕事件(1923年)…大杉栄と伊藤野枝が、憲兵大尉の甘粕正彦によって殺害された事件
○虎の門事件(1923年)…難波大助による摂政宮裕仁親王(せっしょうのみやひろひとしんのう)(のちの昭和天皇)暗殺未遂事件で、この責任を取って第2次山本権兵衛内閣が退陣した
問5 労働省が設置された時の内閣について
正解は②の片山哲(かたやま・てつ)ですが、これもなかなかの難問です。
➃の石橋湛山(いしばし・たんざん)は、1956年に「脱冷戦」をかかげて内閣総理大臣となりましたが、発病して退陣しました。
①の幣原喜重郎や③の芦田均など、戦後間もなくの内閣総理大臣も頻出なのですが、まずは次の内容をしっかり押さえることから始めましょう!
一問同心のココを押さえろ!!
戦後間もなくの内閣総理大臣のポイント
○東久邇宮稔彦(ひがしくにのみや・なるひこ)内閣(1945年8月~)…皇族出身
「一億総懺悔(ざんげ)」をかかげるが、人権指令(1945年)を実施不能として退陣した
○幣原喜重郎(しではら・きじゅうろう)内閣(1945年10月~)…外交官、日本進歩党
五大改革指令(1945年)…婦人の解放、労働組合の結成、教育の自由主義化、圧政的諸制度の撤廃、経済の民主化
新選挙法(1945年)…20歳以上の男女に選挙権を与える
→戦後初の総選挙を実施(1946年)…日本自由党が第一党となり、女性代議士が39名誕生した
○第1次吉田茂内閣(1946年5月~)…日本自由党
日本国憲法公布(1946年11月3日)・施行(1947年5月3日)
民法改正・刑法改正(1947年)
地方自治法(1947年)…これにより内務省が廃止された
警察法(1947年)…自治体警察を設置した
→憲法制定後初の総選挙を実施(1947年)…日本社会党が第一党となる
○片山哲内閣(1947年5月~)…日本社会党などの連立政権
労働省を設置(1947年)したが、炭鉱国家管理問題で退陣した
○芦田均(あしだ・ひとし)内閣(1948年3月~)…民主党などの連立政権
昭和電工事件(1948年)で退陣した
問6 新婦人協会の活動によって改正された法律について
問1で女性解放運動について扱った通り、新婦人協会は治安警察法第5条の撤廃を求めて運動を展開しました。
したがって、正解は④の治安警察法ですね。
①の集会条例は、1880年に大阪で国会期成同盟が結成され、国会開設要求の高まりを封じ込めるために明治政府が出した法令です。言論・集会・結社の弾圧を目的としたものでした。
②の民法については、現代の民法よりも明治時代の民法について押さえておくべきですね。フランスの法律学者ボアソナードが起草した民法をめぐり、フランス民法を推進する梅謙次郎(うめ・けんじろう)と、ドイツ民法を推進する穂積八束(ほづみ・やつか)との間で論争が起こり、結果的にドイツ流の新しい民法が公布されることになりました。この一連の流れを民法典論争といいます。
③の工場法は、明治時代後半の労働運動の高まりに対して、明治政府が1911年に発布したものです。「最低年齢を12歳とする」「労働時間を12時間とする」「女性・年少者の深夜業禁止」などが規定されていましたが、15歳未満の工場には適用されないなど、不備も多いまま1916年に施行されました。
問7 内務省廃止に伴う住民の直接選挙などを定めた法令について
問5で、戦後間もなくの内閣総理大臣をまとめましたが、第1次吉田茂内閣の時に地方自治法が定められ、これによって内務省が廃止されています。したがって、②の地方自治法が正解となりますね。
①の府県制・郡制、③の市制・町村制については次にまとめておきましたので、必ずワンセットで押さえておきましょう。
一問同心のココを押さえろ!!
明治政府による地方制度の整備
市制・町村制(1888年)、府県制・郡制(1890年)
○内務大臣の山県有朋(やまがた・ありとも)とドイツ人顧問のモッセによって制定された
○地方の有力者を行政の末端に利用するなど、制限された地方自治制が確立した
➃の国家総動員法は、1937年の日中戦争勃発に伴い、政府が議会の承認なしに国民生活を統制できるとして1938年に発布された法律です。
問8 厚生省について
一見すると難しそうに見えますが、役割自体は現在の厚生労働省とほぼ変わりませんので、正解は③となります。
①の全国の警察組織を統轄したのは内務省ですので、誤りです。
②の戦時動員の計画・立案・調整などを行ったのは企画院ですので、これも誤りです。
➃はなかなか難しいですね。1943年に商工省と企画院を吸収・合併して誕生したのが軍需省です。
問9 農商務省による工場労働者の実態調査について
これは基本的な問題ですので、ぜひとも正解したいところですね。
正解は③の『職工事情』です。1903年に農商務省が工場労働者の実態を調査してまとめた報告書ですね。
①の『貧乏物語』は、1917年に河上肇(かわかみ・はじめ)が著した、貧困の背景と問題点を取り上げたものです。
②の『日本之下層社会』は、1899年に横山源之助(げんのすけ)が著したものです。
➃の『女工哀史』(じょこうあいし)は、1925年に細井和喜蔵(わきぞう)が著したもので、1886年の甲府雨宮製糸工女ストを題材としています。
問10 労働基準法について
これも基本的な問題ですので、落とすと差がついてしまいますね。
正解は②です。
①の18歳未満の就労については、労働条件についてさまざまな制限はありますが、就労そのものの禁止はされていません。
③の労働三権については、労働組合法に規定されています。
➃の労働委員会は行政委員会の一つですが、あまりなじみのある用語ではありませんね。
さて、「労働三法」について次にまとめておきますね。
何度も何度も口に出して即答できるようにしておきましょう!
一問同心のココを押さえろ!!
労働三法
○労働組合法(1945年)…団結権・団体交渉権・団体行動権(争議権)の労働三権を保障したもの
○労働関係調整法(1946年)…労働争議の調停について保障したもの
○労働基準法(1947年)…8時間労働制や女子・年少者の深夜業禁止などを規定したもの
一問同心の日本史学習ワンポイントアップ⑧
日本史の一問一答集を持っている人、手を挙げてください。
かなりいますね~。
日本史で受験する人の必須アイテムといっていいでしょうね。
しかし、用語のほうだけを赤シートとか緑シートとかで隠して覚えていませんか?
用語だけを答えるのであればいいんですけど、もっと力のつく方法としては、問題文のほうを隠すことです。
つまり、その用語が自分で説明できるかという勉強をしていけば、正答率は格段にアップします。
ぜひやってみてくださいね!
さて、いかがだったでしょうか?
近畿大学の問題は、もちろん落としてはいけない問題もありますが、初見の用語や史料に惑わされてしまいやすいことも分かったと思います。
ということで、近畿大学の過去問解説はこれで終わりにしたいと思います。
次回からは、関東地方の大学入試問題の解説に入っていきますので、どうぞお楽しみに!
創心館のブログにおいでいただき、ありがとうございました。
では、次回をお楽しみに!
文責:藤井 宏昌