12歳で出会った君たちと、22歳で再会した夜

土佐堀校

先日、創心館本校5期生のプチ同窓会にお呼ばれしました。
彼ら・彼女らも、もう22歳の代。来年から就職する子も多く、これからは忙しくなるから、今年のうちに一度集まろう、という話になったそうです。

「もし先生もご都合が合えば、顔を出してもらえたら嬉しいです」

そんな連絡をもらいました。

最初は、正直あまり参加する気にはなれませんでした。
というのも、あの頃から時も経ち、自分だけが老いていく姿を見られたくない、そんな謎のプライドがあったからです。今思えば、取るに足らない感情だったのかもしれません。

それでも、せっかく声をかけてもらったのだからと、私も少しだけ顔を出させてもらいました。

彼らと出会ったのは、12歳の中学1年生の頃。
まだ幼さが残り、集中力も安定せず、思うように点数が伸びずに悩むことも多い年頃でした。
それが今では22歳。それぞれが自分の道を歩き始め、立派な大人になっていました。
背格好も、話し方も、考え方も、すっかり大人。
特に女の子たちはメイクという魔法で見違えるほどでしたが、声や笑顔ですぐに分かりました。
その一瞬で、教室で向き合っていた当時の姿が自然と重なりました。

同窓会の席では、当時の話に花が咲きました。

「人生で一番勉強したのは、あの塾の時だった」
「正直きつかったけど、一番楽しかった」

さらに笑いながら、
「先生たち、あの頃みんな目が血走ってましたよね」と言われ、思わず苦笑いしました。

確かに否定できません。
それもそのはず、あの頃は我々講師も狂ったように働き、生徒も狂ったように勉強し、教室全体がとてつもない熱量に包まれていました。
今思えば、少し異常なくらい本気で、だからこそ特別な空間だったのだと思います。

「楽しかった」
「塾が居場所だった」

その言葉を聞いて、あの教室が単なる勉強の場ではなかったのだと、改めて思いました。

【↑当時の卒業祝賀会の様子】

当時は、宿題が多い、授業が厳しい、テストが多いと、不満もたくさんあったはずです。
それでもあの子たちは、仲間と机を並べ、悩み、時にはぶつかりながら前に進んでいました。
勉強を通して、努力すること、継続すること、逃げずに向き合うことを、自然と身につけていったのだと思います。

塾講師という仕事は、成果がすぐに見える仕事ではありません。
合格発表は一つの節目に過ぎず、本当の答えはもっと先にあります。

卒塾後、数年経って、こうして声をかけてもらえたこと。
当時を笑って振り返りながら、居場所だったと言ってもらえたこと。
それこそが、この仕事を続けてきた意味だと、改めて感じました。

創心館本校5期生のみんな、声をかけてくれて本当にありがとう。
12歳で出会ったあの子たちと過ごした時間は、私にとってもかけがえのない財産です。

みんながさらに成長した姿で再会できる日を、心から楽しみにしています。
それぞれの場所で、自分らしく前に進んでいってください。

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