共感ということばを聞くと、なんとなく意味は分かると思います。しかし、本当に相手に共感できているかどうかを知るには、相手に確認する以外分からないものです。つまり、相手が「自分の気持ちを分かってもらえた」と感じて初めて、共感できたということになります。巷には読むと共感性が育つ本などがありますが、ここでは臨床心理学的な共感性の育て方について述べてみたいと思います。
共感ってなに?
そもそも、相手に共感するためにはまず、自分の気持ちに気づく必要があります。でないと、自分の気持ちと相手の気持ちの区別がつきにくくなり、自分とは価値観の異なる相手に共感するのが難しくなるからです。自分と同じ考えや価値観を持つ人に対して「私もそれ分かる~」というのは、共感ではなく同調だったり同情だったりします。共感とは平たく言えば、自分とは異なる価値観を持つ相手に対しても、「なるほど、そういうことなのか」と相手の気持ちに理解を示す態度、と言えます。あるいは、自分のこころを働かせて相手のこころを知ろうとする行為、とも言えるかもしれません。
カウンセラーに対する疑問の1つとしてよく言われるものに、「あなたは経験したことがないのに私の気持ちが分かるんですか」という文言があります。先にも述べたように、「それは私にも経験あるから〇〇だよね」というのは共感ではなく、同調・同情と呼ばれます。共感というのは、「あなたは〇〇で△△だと思ったんですね」「それでそんなに辛かったのですね」という具合に、あくまでもこちらが感じた相手の感情をことばで伝え返す行為なのです。
共感してもらう体験が土台
では、自分の気持ちに気づくためにどうすればいいのか。それは、誰かに共感してもらうことです。子どもの頃は、それは親が担うことが多いでしょう。子どもがまだ小さかった頃におもちゃが壊れて泣いている場面で、「あらあら、おもちゃ壊れちゃったね、悲しいね、よしよし」と、慰めた経験はありませんか。このやりとりが共感の原版とも言うべきものです。子どもは自分の気持ちをことばで表すことができないとき、かんしゃくなどの行動で示します。それに対して、子どものこころの中で起きていることを、親が代わりに説明して返します。そうすると、子どもは自分の気持ちを受けとめてもらえたと感じ、徐々に落ち着いていきます。例えるなら、固すぎて呑み込めないものを親が咀嚼して柔らかくしてあげるイメージです。
共感するにはこころのゆとりが必要
このやりとりは、年齢に応じて伝え方を変えながら子どもが大きくなってからでも続けるべきですが、日本では「親が言い聞かす」文化のほうが強いような気がします。特に現代は時間に追われやすく、親世代が気持ちにゆとりを持ちにくい社会構造なのかもしれません。子どもが祖父母になつきやすいのは、祖父母世代は親に比べてこころにゆとりがあり、子どもに対して「そうかそうか」と共感(そんなに真剣に聞いていなかったとしても笑)しやすいからかもしれません。子どもに「相手の気持ちが分かる大人になって欲しい」のなら、まずは子どもの気持ちを理解し受け止め、ことばで伝え返すことをこころがけたいものです。