シリーズ第17回「学校へ行けないことの意味」

【シリーズ臨床心理士のつぶやき】

夏休み明けの9月は学年の変わり目の4月と並ぶぐらい不登校になりやすい時期であると、文部科学省での統計結果が出ています。不登校の原因には様々な要因が複雑に絡み合っていると言われており、問題解決志向ではなかなかうまくいきません。4月・9月という長期休み明けは、これから学校が始まることへ対する不安が最も高まりやすい時期であるため、不登校の数が増えるのもうなづけます。しかし、だからといって不登校の原因である不安を取り除けば解決する、といった単純な話ではありません。今回の内容は学校に行きたくても行けない、そんな状態の子どもたちにどのような視点で関わればいいのかについての、様々な対応方法の1つとして捉えてもらえると幸いです。

学校へ通えないことへの罪悪感

 学校へ行くことは一般的に当たり前と思われています。特に小中学校は義務教育のため、学校へ行かずに外を出歩いている子どもを見かけると、「あの子はどうして学校へ行ってないんだろう?」と、世間一般の人々は思うことでしょう。学校へ通っている子どもたちですら「どうしてあの子は学校に来ないんだろう?」と不思議に思うくらいなので、それぐらい学校へ行くことが当たり前で、学校へ来ないのは普通ではないという世間の風潮は、そう簡単には変わりません。
 さらに、学校へ行けなくなった原因がはっきりしないことの方が多く、周りからは「怠けているだけだ」と思われがちです。そのため、学校へ行けなくなった子どもたちは、学校へ行けない自分を「当たり前のことができない駄目な人間だ」と思い悩み、自分を責めてしまう傾向にあります。youtuberのゆたぼんのような子は極めてまれなケースで、多くの不登校児童・生徒は学校へ通えない自分を「ダメな自分」と思いやすいのです。

学校へ通う意味が分かったとて登校できるわけではない

 では、学校へ行くことの意味とはなんでしょうか。普段そんなことを考えて登校している子はごく少数かと思いますが、学校へ行くのがしんどくなってくると、「なぜ学校へ行かないといけないんだろう」という考えが脳裏に浮かんできます。子どもがそれを口にすると周囲の大人たちは、なぜ学校へ行かないといけないのかを懇切丁寧に説明してくれます。ここでは一般的な学校へ通う意味は省略しますが、それらに納得して一時的に学校へ行けるようになったとしても、やがて力尽きてしまいます。頭ではなぜ学校へ行かないといけないのか分かっていても、体が言うことを聞いてくれないのです。
 なぜ学校へ行けなくなるのかという原因については、文部科学省の文言でも明確化されておらず、心理的・発達的・社会的な要因が重なっているため個々によって様々です。つまり、学校へ通う意味が分かったところで、当人の状態が好転するとは限らないのです。

学校へ行けないことの意味とは

 では、どのような対応が求められるのでしょうか。これまでの研究結果から文部科学省の不登校支援の指針も柔軟になっており、少しご紹介します。

【「学校へ行く」という結果のみを目標にするのではなく、児童生徒が自らの進路を主体的に捉えて、社会的に自立することを目指す必要があること。また、児童生徒によっては、不登校の時期が休養や自分を見つめ直す等の積極的な意味を持つことがある一方で、学業の遅れや進路選択上の不利益や社会的自立へのリスクが存在することに留意すること。】 ※文部科学省ホームページより引用

 このように学校へ行かないことのリスクに関する記載はあるものの、学校へ行かないことの意味についても記載されていることが非常に重要だと思います。ただ当人がなぜ学校へいけないのかを考えるのではなく、学校へ行けないことで当人にどういう意味があるのか、はたまたその子を取り巻く環境、特に家庭内にどういう意味があるのか、といった視点を持つことで不登校という状況の捉え方が変わってくることがあります。時には、子どもの不登校がきっかけとなり、これまでの家族関係が大きく変化していくことも起こり得ます。それが良いとか悪いとか言うつもりはなく、「変化」そのものに良いも悪いもありません。その変化を「良い」と捉えるか「悪い」と捉えるかの違いなのです。まずは、学校へ行けない子どものささいな「変化」に目を向けることが大切です

自分らしさの構築と受容


 ただし、学校へ行かないことが意味あるものとして機能するためには、家族も含めて当人に対する周囲の大人たちの理解が必要不可欠です。学校へ行けない本人にとっては上記のような文言があっても、現実が辛いことに変わりはありません。そのため、学校へ行けない当人へのサポートとして具体的にできることはあまり多くありませんが、ある当事者の会で、「学校へ行けない状態を認めてもらえる=自分の存在を受け入れてもらえる」ことが何より有難かったと、不登校経験のある方が述べておられたのが印象的でした。その子(もう成人でしたが)が言うには、「親はご飯、洗濯のような最低限のことだけやってくれて、他にああしろこうしろと言わなかった」とのことです。それが何よりも有難かったそうです。
 どういうことかといいますと、最初に述べたように学校へ行けなくなった子は自己評価が極めて低くなります。今の自分はダメと思っている状態です。そこで家族の理解が得られひとまず学校へいけない自分の居場所ができると、当人の中に「自分はここにいてもいいんだ」という思いが芽生えます。すると、当人の行動や考え方に徐々に変化が生じてきます。そこですぐに再登校する子もいるにはいると思いますが、たいていは自分の好きなことを見つけたり熱中したりします。その行動を見て家族は不安に感じることもあるでしょうが、小さな変化は大きな変化のきっかけになり得ますので、専門家と相談しながら当人の行動の意味を考えていくことが望ましいでしょう。やがて、当人の中に「自分はこれでいい」というような感覚、自己評価の回復が生じてくると、新たな行動を開始します。その一つが再登校なのです。

いつなのかは誰にもわからない

 上に述べたような再登校へ向かう道筋はあくまでも一例であり、すべての不登校児童・生徒がこのような過程を辿るとは限りません。さらに、このような変化が「いつ」起こるのかについては、誰も予測することができません。学期の変わり目、学年の変わり目、中学から高校への変わり目、これらの時期が再登校する機会の一つの目安にはなりますが、期待しすぎるのは禁物です。当人が「学校行こう」と思ったタイミングが、再登校する時なのです。
 今回述べた内容は様々な不登校対応の一つに過ぎず、すべての不登校に適用できるわけではありません。子ども×環境×親の組み合わせは無限にありますから、不登校を解決する万能な対応方法は存在しないのです。しかし、学校へ行けないことの意味を考えるというのは、どの不登校生徒・児童にとってもできることだと思います。その結果、具体的にどうサポートしていくのかはケースバイケースです。不登校サポートというのは、当人に応じた対応方法を専門家と一緒に考えていくことが望ましいでしょう。
 

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