シリーズ第18回「やりたいことが見つからない人へ」

【シリーズ臨床心理士のつぶやき】

そろそろ進路選択の時期

 中学3年生、高校3年生にとっては進路選択が迫ってきています。この「迫ってくる」という表現には、自分から積極的・主体的に目標へ向かっていくというよりも、どちらかと言えば必要に迫られて半ば強制的・受動的に選ばされるといったニュアンスがあるような気がします。実際、「自分のやりたいことが分からない、行きたい学校が決められない」といった人も少なくないと思います。今回は進路選択にまつわることを、つらつらと書いてみました。

進路を決めることは生まれ変わること?

 迫られることは強制的・受動的であると言いましたが、この「迫られる」ことで、今まで考えてこなかったことを真剣に考えるきっかけにもなります。古来から人類は、ある年齢ごとに何らかの儀式を設け、それを通過することで生まれ変わる(新たな自分になる)通過儀礼という慣習を続けてきました。その名残は現代においても、「○○式」という名称で存在しています。成人式がまさにそうですが、現代の成人式では命を懸けるような危険な儀式は行われません。命を懸けるのが良いとは思いませんが、それぐらい必死になってこそ、新たな自分に生まれ変わることができるという意味があったと思います。だから、現在の成人式に出席したからといって、生まれ変わったという感覚になる人なんて、ほぼいないでしょう。でも、袴や振袖など1回限りの衣装を着ることで、少しは自分自身の変化を感じられるかもしれません。
 少し脱線しましたが、新たな進路を選択するというのはこれまでの自分とは異なる、新しい自分・新しい生活のスタートを意味します。そうなると新たな環境へ適応するために、自ずとこれまで通りの自分ではいられなくなり新たな自分を再構築する必要に迫られると言えるでしょう。

昔は将来像を描きやすかった?

 近代以前までは、子どもはある程度成長したら大人と同じように扱われ、即戦力・労働力になることを求められていました。特に、明日の食料を得られるかどうかといった時代では、労働力が増えるかどうかは死活問題だったからです。しかし現代では、生活水準が向上し、学問の自由も保障されていますので、子どもから大人になるまでの期間が長くなりました。もちろん世界を見渡すと、十分な教育どころか、命の安全すら保障されていない子どもたちがまだまだ大勢います。幸いなことに、我々日本人は学びたければ高校、大学、大学院生、果ては研究者にだってなることができます。生活できるかどうかを差し置けば、自分の好きな研究に没頭することさえ可能なのです。
 まだまだ紛争が続く地域では、子どもと呼ばれる年齢でさえ兵隊として軍務についており、日本でも戦争時ではそれが当たり前でした。その後戦争が終わり、子どもたちが安心して学業に取り組めるようになり、やがて高度経済成長期を迎えて様々な就職先が生まれ、「大人になったら○○になる!」など将来に対する明るい見通しを持ちやすかったのではないかと思われます。(ただし昭和の時代はまだまだ家父長制が根強く残り、女性の社会進出は欧米先進諸国に比べて遅れていました)
 いずれにせよ昭和という時代は、大人になれば「男性はとにかく働いて稼ぐこと」「女性は素敵な男性と結婚して家庭を築くこと」のような、ステレオタイプ的な将来像を描きやすかったのではないでしょうか。

現代では将来像が描きにくくなったのか?

 日本が戦後の高度経済成長期を過ぎていわゆる「バブル崩壊」が起きてからは、今まで通りの将来像を描きにくくなったのではないでしょうか。「まさかあの会社が倒産するなんて」というショックや、終身雇用制度というものが揺らぎ始めたことで、当時の青年たちは将来に対して明るいイメージを持ちにくくなったと思われます。もちろん、「〇〇になりたい!将来〇〇をしたい!」という子どもが完全にいなくなったわけではありませんが、就職氷河期という言葉があったようにとにかく就職先を決めることすら困難で、「安定しているから」という理由で公務員を志望する人たちも多かったように思えます。
 そのような社会的気運も重なり、「やりたいことが見つからない」という悩みが増えると共に、定職に就かないフリーター、ニートや引きこもりの増加といった社会問題もクローズアップされて来ました。明日の食料獲得が第一優先だった時代には考えられない現象です。

キャリア教育とは

 こういった問題への対処として「キャリア教育」というものが国から提唱され、子どもたちは「職業体験」というイベントを経験するようになりました。文部科学省によればキャリアとは、「人が生涯の中で様々な役割を果たす過程で、自らの役割の価値や自分との関係を見いだしていく連なりや積み重ね」であるとされています。さらにキャリア教育とは、「一人一人の社会的・職業的自立に向け、必要な基盤となる能力や態度を育てることを通して、キャリア発達を促す教育」と定義されています。つまり、将来社会の中で自分の役割を見つけるとともに自分らしく生きていけるようにするための教育であり、学生から社会人へうまく繋げるようにするための教育なのです。
 私はかつて学生の頃このキャリア教育の恩恵にあやかっていませんが、大人目線からすると義務教育時代から将来の職業について考え体験することは、プラスの方が大きいのではないでしょうか。

モラトリアムという考え方

 とはいえ、やはり進路選択の時期になると「やりたいことが見つからない・分からない」という思いになる子どもたちは、少なからずいることでしょう。ちなみに、学生時代を終えて社会人になろうという時期に差し掛かった時、何をしたいのか分からないので決断を先送りにする傾向を「モラトリアム」と呼びます。これはもともと、金銭債務支払いを一定期間猶予するという意味ですが、それが心理学的な意味合いで使われているものです。この言葉のみだけでなく、「自分探し」という言葉も一時期流行っていました。
 今の日本では、モラトリアムが比較的長期間許容されています。大学は最長8年まで在籍することができますし、そこで卒業すれば、新卒扱いです。そこから大学院等へ進学すると、さらに就職が先延ばされることになります。さすがに「働きたくないから大学院にいく」という消極的な理由で進学する人は少ないとは思いますが、あまり長くモラトリアムに浸りすぎると社会との接点が薄くなり、いざ働こうと思っても不安が先に来たり就職したとしてもすぐ辞めてしまったりします。また、そもそも「働きたくない」というニート志向が強まり、本当に社会的に孤立してしまう危険性もあります。

多様性社会の中における選択の難しさ

 2020年代頃から「多様性」という捉え方が世界中で拡大し、日本でも取り入れられて来ました。男女の区別だけでなく、YouTuber など職業面でも多様化が進んで来たように思われます。多様化するということはつまり、それだけ選択肢が増えるということでもあるのです。やりたいことを決めるということは、他の選択肢を捨てるということになりますので、やりたいことがたくさんある人にとってはやりたいことがない人よりも、進路選択がかえって難しく感じるのではないでしょうか。
 これはとても大事なことだと思っているのですが、やりたいことが見つからないことは、決して異常な、悪いものではありません。家庭の経済状況にもよりますが、とりあえず高校は普通科に行き、とりあえず大学に入ってから先のことは考える、という生き方もあるのです。先に述べたようなモラトリアム期間を上手に利用して、自分自身のキャリアを積み重ねていくことで、きっと「こうしたい」という将来像が見つかってくると思います。進路選択に迫られて、焦りや不安に押しつぶされそうな人は、独りで抱え込まず色々な人に相談してくださいね。

やりたくないことから見つけるという考え方

 私のすきな youtuber である「リュウジ」さんが動画内で言っていましたが、「別にやりたいわけではないことを仕事にしている人、普通に仕事をしている人、みんながやりたがらないことを仕事にしている人たちをリスペクトすべき」という内容は、本当に腑に落ちました。世の中みんながみんな、やりたいことを仕事にしているわけではありません。むしろ、好きなことだからこそそれを仕事にしたくないという人だっているのです。好きなことを仕事にして十分満足な生活ができていればいいのですが、仕事になった途端好きだったものが嫌いになることだってあるのです。仕事は仕事と割り切って、好きなことは趣味として楽しむという生き方でも全然構わないと思います。
 最後に進路選択のアドバイスとして、やりたいことが見つからない場合は「一旦やりたくないことを見つけていく」という方法があります。いわゆる消去法ではあるのですが、例えば職業リストを見ながら自分の中で「これはやりたくない・興味がない」というものをどんどん消していき、残ったものについて調べたり可能なら体験したりすることで、興味が湧くことがあります。もしくは、大学時代に様々な業種のアルバイトをしてみて、自分の興味・関心を知っていく方法もあります。やりたくないことを見つけるという方法は、大学の学部・学科を選ぶ際にも使えることがありますので、何に対しても興味が湧かない場合は試してみるのもいいかもしれません。

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